その後も上岡と大瀧の密やかな交遊は続行した。
「上岡さんが定期的に東京で開催していたイベントに、大瀧さんを招待された時には僕も加わり、やっぱり音楽談義ばかりをしていましたね。上岡さんが『そんなに歌謡曲が好きなら、何かでまとめてみたら?』って提案されたんです。それが後々、大瀧さんが取り組むことになった、時代ごとの流行歌を独自に分析する『日本ポップス伝』(95年NHK-FM)に繋がっていったと聞いています」
博覧強記の大瀧の真骨頂が発揮される音楽番組の仕掛け人こそ上岡だったというのだ。
キレ者上岡の思い出は、植竹氏が担当した「上ズバ」で強烈な印象を残している。AV女優、バツイチ女性、ゲイ‥‥毎回50人の異種多彩な人々と上岡が対決する伝説的な番組だ。
「上岡さんは、伝説みたいな人ですからね。僕らは、『あの上岡龍太郎に恥をかかしちゃいけない』っていう気持ちで番組作りをしていましたよ。今でも覚えているのは、危ない企画こそ喜んでやってくださる姿です。例えば、第1回目の放送では“極妻50人”をスタジオに集めてトークをやりました。極道の妻が50人いるだけで迫力もあるし、スタジオの隅には付き添いらしき怪しい人たちもチラチラ見えてるんで、妙な張り詰めた緊張感がありましたね。他の出演者やスタッフも戦々恐々としているのに、上岡さんは『抗争に巻き込まれたことは?』とか『指を詰める瞬間を見たことある人?』みたいな、聞きにくいことをズバズバ聞いちゃうんですよ。まぁ、そういう聞きにくい質問は僕が考えていたんですけどね(笑)。不思議と上岡さんというフィルターを通せば、極妻たちもフラットに答えてくれるんです。これぞ、上岡さんのパワーだなと感じました」
かつて「芸人ちゅうのは何や言うたら落ちこぼれ人間です。社会のはみ出し者、アウトロー。いわば暴力団と一緒です」と語っていただけに、造作もないタブー破りだったのだろう。
「上岡さんがオカルトや占いを嫌いと知っていて、あえてそういう企画を持っていった。打ち合わせの時に『こんなのしたくない』とか言わないので、そのまま収録になったんですが‥‥。占い師50人を集めた時も、スタッフが一生懸命、交渉して出演いただいているわけですよね。もちろん、上岡さんもその事情は知ってる。でも、論理的に詰め寄って、血祭りに上げちゃう(笑)。うさんくさいのが大嫌いだからね。霊能者を集めた時には、オカルト現象が実在するようなVTRを流したら『こんなん作るヤツの程度が低い』って本気で怒り始めちゃって」
烈火のごとく怒りまくる上岡の火を消すのは辣腕プロデューサーをしても至難の業だった。
「今思えば、上岡龍太郎として東京で冠番組をゴールデンタイムで持つのは初めてだったので、相当な意気込みがあったと思うんです。だから、お立ち台ギャル50人を集めた時に服を脱ぎながら踊り狂うギャルたちを見ても、ミスターレディと呼んだニューハーフの人が来てヤバい話をした時も、いちばん先頭に立って盛り上げてくれました」
上岡と50人の異種格闘技戦は大きな話題となり、視聴率15%を超える人気番組となっていく。