「私が、上岡龍太郎です」。みずから司会を務める番組で常々こう口上を述べた上岡。しかし、ある時は立川右太衛門、またある時は三池嵐次郎の別名でも活動した異才の人だった。「オキテ破り伝説騒動編」に続き、今週は博学多才の芸人の知られざる交遊録を発掘する!
「上岡龍太郎がズバリ!」(TBS系。以下「上ズバ」)などの放送作家を担当した植竹公和氏が述懐する。
「上岡さんって、異様に昔の歌に詳しいんですよ。歌手の名前、作詞者、作曲者、その曲が発表された時、社会ではどんな出来事があったのかをきっちりと記憶されてるんです。それで後に『対決!マイベスト10』(テレビ東京系)っていう番組を作ったんですよ。2人のゲストが登場して、それぞれのテーマに合わせたお気に入りの曲を発表するという企画です。好きな音楽がテーマだったからなのかな、とてもノッていました。後から人に聞くと、上岡さんが嫌っていたゲストも数人登場したんですが、そんな様子は一切見せずに司会に徹しておられました」
みずから「エルヴィス・プレスリーに人生を変えられた」と明かし、高校時代はジャズ喫茶通いをするロカビリー青年だった上岡は、音楽の知識もまた博識だった。
「90年代の前半頃、何かの雑誌で大瀧詠一さんが、年末になると自宅に来られた方に『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)のビデオを強制的に見せているっていう記事を読んだんですよ。だったら、おふたりを会わせてみたら、何か面白い化学反応が起きるんじゃないかと思い、上岡さんにお伺いを立てたら、OKが出た。正直、その時点では、上岡さんは大瀧さんのことを知らなかったと思うんですよ。本質では、三橋美智也さんが好きな人ですからね。それで、大瀧さんにメールを出したら、すぐにお返事が来て『お会いしましょう』ということになって、六本木の地下の飲み屋をセッティングしたんです」
同じくエルヴィスを敬愛する大瀧は独特の“しゃっくり唱法”を真似し、「うなずきマーチ」「イエローサブマリン音頭」など数々のコミックソングを作るなど、お笑いにも精通。2人の波長は見事にマッチした。
「どちらかと言えば、2人ともシャイなタイプ。特に大瀧さんはお酒も飲まず、上岡さんは先輩に当たるため、初めて会う日は緊張していましたね。でも、僕が橋渡し的な役割で会話を進めると徐々に打ち解けて、音楽談義に熱心になっていきました。特に、昔の歌謡曲をテーマに、大瀧さんはその曲がどのように大衆に受け入れられたと思うかとか、時代の空気について質問されていたように思います」
お笑い界では、後輩の「紳助・竜介」にいち早く目をかけるなど目利きであった上岡だが、その洞察力は音楽の分野でも発揮されたという。
「ある時、上岡さんが『山下達郎さんの歌唱には、浪曲の影響があるのでは?』と指摘されたことがあって、大瀧さんがその話を直接、山下さん御本人に確認されたそうです。すると、本人は『バレたか』って。実は、山下さんは子供の頃から浪花節が好きだったらしく、それを上岡さんは見抜いていたんですよ」
“職人”山下達郎もシャッポを脱ぐ上岡の慧眼だった。