「M-1グランプリ」の審査員に就任して以降、これまで以上にその存在や発言に注目が集まる山田邦子。自身のYouTubeでは芸能界の思い出話や裏話を語る動画も好評だ。天才テリーとは同時代を駆け抜けてきた仲。M-1のこと、渦中の松本人志のことについても語り合った。
テリー この前が2回目でしたっけ。どうですか、「M‒1グランプリ」の審査員は。やってみて。
山田 1回目の方が楽しめましたね。1回目は、ずっと見てた番組で、「わぁ、本番はこうなんだ。テレビで見るのとは違うんだな」とかワクワクしちゃって、お祭りに参加したみたいな感じだったけど。2回目は準備もたっぷりしちゃったし、1回目に選んだ人がその次の日から大スターになるのをはっきりと見たし。責任感みたいなのがすごく出ちゃって、ちょっとソワソワしましたね。実は寝不足で、当日眠かった(笑)。
テリー スタジオの空気ってどんな感じなの?
山田 お客さんも緊張してますよね。
テリー そういう中で自分が面白いと思うのと、お客さんのウケっていうのは温度差があるんですか。
山田 ありますね。やっぱりこっちはちょっとはプロですものね。でも、ここはシンプルに、ほんとにその時面白いものをっていうふうに、シンプルにシンプルにって心がけますけど。
テリー 今は審査員も「あいつ、何にもわかってねぇ」とか叩かれちゃうでしょう。
山田 そうなんですよ。でもお祭りだから、いいんじゃないですかね。決勝の1週間ぐらい前に審査員も発表になるんですよ。そうすると誹謗中傷がワーッと来ますからね。「辞退しろ」「お前に何がわかるんだ」「誰だ、このくそババア」「死ね」とか(笑)。
テリー ええっ! 俺もう絶対出たくないな。気が弱いから。
山田 そうなの?
テリー イヤですよ。そんなの見なきゃいいじゃない。
山田 でも、私はそれもひとつ番組のうちだと思ってるので全部見ます。応援もすごくしてくれるんですよ。そういう中から「何言ってるんだ、お前」「山田邦子を知らないの? お前こそ素人だな」って反論してくる人が出てくるわけ。
テリー 邦ちゃんの味方が。
山田 そうそう。やり合ってるのね。私もちょっと入れてもらうっていう感じで。書き込んで、「ごめんなさいね、おばあちゃんなのよ」とか言って。「うるさい、入ってくるな、山田邦子」って、また怒られて「ごめんね」とか。
テリー そうか、大変だなぁ。でも、今のお笑いに詳しくなるよね。
山田 そうですね。決勝でやるようなネタはほぼ見てますから。新ネタを下ろしてくる子もいるので、そういうネタは初めてですけど。だから、面白いですよ。「この子たち、鉄板ネタで来た」とか「新ネタで勝負して来た」みたいのがわかりますからね。
テリー どうなんですか、最近の芸人さんは。
山田 前みたいに、うんとハングリーでもないですよね。M―1のチャンピオンって参加者8000組以上の頂点なんですよ。
テリー そんなにいるの?
山田 そう。その頂点だから。もうね、結構稼いでる子たちなんですよ。
ゲスト:山田邦子(やまだ・くにこ)1960年、東京都生まれ。1980年、芸能活動開始。1981年、デビュー曲「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」で全日本有線放送大賞新人賞受賞。「オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(共にフジテレビ)などで人気に。1988年〜1995年までNHK好きなタレント調査で8年連続1位。2007年、乳がん発覚。2008年、がんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を設立、団長を務め全国各地にて活動中。2022年より「M-1グランプリ」(朝日放送)の審査員を務める。