パチンコ・パチスロ好きを公言し、最大900万円もの借金を抱えていたお笑いコンビ「空気階段」の鈴木もぐら(37)。売れっ子となった「くずパチ芸人」の、パチ遍歴と最愛機種を聞いた!
─パチンコ・パチスロの原体験を教えてください。
「子供の頃、父親に連れられて行ったパチンコ屋ですね。パチスロでした。膝の上に座って『7、7、7』って目押しをさせられたのを覚えてます」
─まだおおらかだった時代の話ですね(笑)。初めて自分から打ちに行ったのはいつですか?
「高校を卒業して、パチ屋でアルバイトを始めたんです。単純に時給がよかったからなんですが、そこでいわゆる『沖スロ』に、おじさんが何万円も突っ込んでいるのを見て。他の台と比べてそんなに面白いのか?と。バイトの先輩に『打ってみるのが一番早い』と言われて、別の店舗に打ちに行ったら結構勝てたんですよ。3000円が4万円くらいになりました」
─ビギナーズラックだったんですね。その時の機種は何だったんですか?
「『New島唄30』(オリンピア)です。1G(ゲーム)連(チャン)が魅力の機種で、今までで一番打ったし、一番好きな台ですね。もちろん面白いのもありますが、すごく勝てたんですよ」
─失礼ながら、イメージと違うというか‥‥。どっぷりハマって借金を重ねて…みたいな感じだったのかと思っていました。
「『島唄』は勝てたんです(笑)。というより、4号機だったからですかね。当時は天井、ゾーン、リセットを狙って、やり方を間違えなきゃトータルで勝てました。実際、僕はそれで大学の入学金と授業料を稼いで、貯金までしましたし」
─それはすごい! まるでパチプロ並みじゃないですか。
「でも、大学1年生の時に法律が変わって、4号機から5号機になったんです。絶望しましたね。『こりゃ勝てるわけねぇぞ』って。案の定、収支が大幅にマイナスになって、借金人生が始まりました(苦笑)。結局、2年目の授業料が払えなくなって、大学も中退しています」
─5号機に変わって、出玉も大きく制限されることになりましたからね。「冬の時代」とか「暗黒期」などと言われていました。
「それまでの勝ち方が通用しなくなったので、パチスロは打たなくなりました。それでパチンコに手を出すんです。ちょうど初代の『牙狼』(サンセイR&D)など、大量出玉が期待できるMAX機が登場した頃でした」
─ギャンブル性が高いパチンコに乗り換えたと。
「4号機時代の終盤で、いわゆる『ハイエナ』(天井狙いやゾーン狙い)のような立ち回りをしていたことで、自分のスタンスについて『これは純粋なヒキ勝負じゃないよなぁ』と思っていたところもあったんです。勝てはするけど、ただ作業のように打っていたというか。だからむしろ、勝てなくなって、『これがギャンブルだ!』と初めてパチンコの面白さに気づけた感はありましたね。
実際、専業プロのように5号機でも勝てる立ち回りをする選択肢もあったとは思うんです。でも、僕はそこまで割り切って打つことはできなかった。それで結果的に、打っていて楽しいパチンコと競馬で、徐々に借金が膨らんでいきました。上京した時点で200万円くらい。その後は芸人として全然稼げなくて、年間100万円ずつ負債が増えていくみたいな感じでした」