来たる10月30日に還暦を迎える「ミスター女子プロレス」こと神取忍。来月18日には東京ドームシティにて「神取忍還暦祭り」も開催される。デビュー秘話からブル中野や天龍源一郎との死闘、今も一線で現役を続けられる理由などに天才テリーが迫った!
テリー いよいよ11月18日ですね。「神取忍還暦祭り」。
神取 ありがとうございます。まさか還暦までリングの上で戦ってるとは思いませんでした。
テリー もうデビューして40年近いでしょう。その間、休みっていうのは。
神取 休みは風邪をひくとか体調が悪いとか、そういう時だけですよね。15歳で柔道を始めて、それからずっと戦い続けている感じです。
テリー 柔道でオリンピックを目指してましたよね。何でプロレスラーになったんですか。
神取 自分がピークの時、女子柔道はオリンピックの公開競技だったんですよ。それでメダルを獲ってもな‥‥っていうのもあって、もう柔道はやめようって思ってたんです。
テリー ピークって自分でわかるの?
神取 当時は女子プロレスラーは25歳が定年っていう暗黙のルールがあったんですよ。なので、21〜22歳がピークだろうって自分で勝手に思ってましたね。
テリー そうなんだ。柔道は15歳から何歳まで?
神取 中学3年で始めて、5年ぐらいですね。
テリー たった5年で全日本選手権3連覇とか世界柔道3位とか、ものすごい才能ですよね。
神取 時代もよかったんだと思います。山口香の時代で、ヤワラちゃん(谷亮子)が出てきて、女子もこれから盛り上がるぞっていう時だったので。
テリー で、同じ戦うなら今度はリングだと。その頃ってすごい女子プロブームですよね。
神取 クラッシュギャルズとかダンプ松本さんが大人気だった頃です。それで自分が入って、生意気なこと言ってヒールになりました(笑)。
テリー 何を言ったの?
神取 「ダンプは10秒で倒す」とか「クラッシュギャルズなんか目じゃねえ」とか。
テリー アハハハハ。それは誰かに言われたの?
神取 当時の事務所の社長が芸能プロダクションをやってた人だったんです。でも、「演出的にこうやりなさい」とか言うんじゃないんですよ。「あんなのに負けたら柔道界の恥だよね」とか。そうしたら「ちくしょう!」ってなるじゃないですか。それでデビュー1年後ぐらいにジャッキー佐藤さんをボコボコにして、「お前、女子プロレス界の看板にどうしてそういうことするんだ」って言われたりしましたね。
テリー ジャッキー佐藤と言えば、ビューティ・ペアだからね。
神取 そうですね。ヒールってダンプさんみたいに物を持ったりとか、見るからにヒールじゃないですか。自分はマジに「いるだけで悪いよね」みたいな感じでしたね。
テリー 格好よかったよね。
神取 ありがたいです。でも、そう言っていただける方は少数派で。やっぱり当時は「女子プロレス界を守るために、そんなことはするな」とか、そういう感じの人が多かったですね。
ゲスト:神取忍(かんどり・しのぶ) 1964年、神奈川県生まれ。15歳から柔道を始め、「全日本選抜柔道体重別選手権」3連覇(66キロ級)、福岡国際女子柔道選手権大会2位、1984年世界柔道選手権大会3位の成績を残す。1986年「ジャパン女子プロレス」入団。同年、ジャッキー佐藤戦でデビュー。ジャパン女子の四天王(ジャッキー佐藤、ナンシー久美、風間ルミ)として団体の看板レスラーに。1992年、風間ルミらと「LLPW」を旗揚げ、後に代表に就任。2011年「LLPW-X」に改称、現在は代表取締役社長兼現役女子プロレスラーとして活躍中。11月18日(月)、東京ドームシティホールにて「神取忍還暦祭り」開催。