テリー それで桑田さんは、ドラフトの時に早稲田ではなくジャイアンツに行って、一方で清原さんは巨人に入ると思っていたのに、入れなかった。
桑田 僕は当時、「巨人のドラフトでもしも名前があがればその道に行き、あがらなければ進学する」という思いを胸に秘めていました。ドラフト当日、父親から「(巨人以外の)3球団が指名するらしい」と連絡がありましたが、実際はジャイアンツが僕を1位指名でした。その3球団は土壇場で下りちゃったんですね。
テリー じゃあジャイアンツの指名じゃなかったら、早稲田に行っていた?
桑田 はい。でも父親に説得されて、プロに入ってたかもわかりません。なぜなら、うちは経済的に苦しかったんです。母親は絶対に早稲田に進んでほしいと、願ってくれていましたけどね。今まで、こういう話はしなかったんですが、もうそろそろ話してもいいかなと思いまして。
テリー そうだったんですね。
桑田 僕は勉強が好きですが、もしも清原君が僕と同じように勉強をしたら、僕は絶対にかなわない。高校3年間、僕は間近で見てきたからよくわかります。彼はすごく頭がいいんですよ。そして優しいんです。どちらかというと、僕のほうがワンパクなくらいです(笑)。
テリー わかります。本当にいい男ですよね。
桑田 はい。頭の回転も速いですしね。僕は彼と高校1年生の時に会った時に、それをすごく感じましたね。野球だけじゃない、すごい才能を持ったやつだなあと。
テリー そんな清原さんに今、声をかけるとしたら、どんな言葉を伝えますか。
桑田 理想は、ですよ‥‥、僕は、彼と一緒に野球界に恩返しをしたいです。彼の人気、実績、影響力は、とにかくズバ抜けてますから。もしも彼と一緒に野球界に恩返しできたら、どれだけ、ファンの人たちが喜ぶかなって、いつも考えます。
テリー 僕からも、清原さんに今日のことを伝えておきます。今、「野球界に恩返し」という言葉が出ましたけども、当然、プロ野球の指導者、監督というオファーも来てるんじゃないかと思うんですけど。
桑田 自分の中で、指導者になる目標を掲げてはいますね。とはいえ、40歳で引退したので、50歳ぐらいまでの間、まずは10年間いろんなことを勉強しようと思っています。現役時代は選手として、自分を高めることに全力を注いできた。引退後は、大学院に行きながら、スポーツビジネスやマネージメントのあり方、科学的視点から見た投球フォームの分析などを勉強しています。自分の経験だけに頼らず、たくさんの専門家の知恵を合わせて、今後の野球界に貢献していきたいです。
テリー ということは、今47ですよね。3年後の監督ということなんですか。
桑田 ぴったり10年じゃなくても大丈夫です。タイミングを大事にしつつ勉強を続けていきたいですね。
◆テリーからひと言
スタッフに聞いたら、アサヒ芸能での連載はなんと「18年目」らしい。節目の回に、背番号「18」を背負った桑田さんのご登場とは、何かの縁でしょうか。ぜひ清原さんと二人で監督になって、日本のプロ野球を新しくもり立てていってほしい!