恩師である平尾昌晃とのデュエットで、史上まれに見る幸運なデビューを飾った畑中葉子(56)。紅白への切符も超特急だったが、記念すべき舞台は「師との別れの場」でもあった。
「デビューしてすぐに売れた? いや、その前からです。78年1月の発売なのに、その前年の12月には札幌の有線で1位になっていましたから」
日本のカラオケブームの元祖であり、デュエット歌謡の定番となったのが「カナダからの手紙」だ。平尾昌晃の芸能生活20周年を記念したシングルで、主宰する音楽学校の生徒からパートナーが選ばれることになった。
「東京校でレッスンを受けていた5人の中から私が選ばれたんです。それから先生にデモテープをいただきましたが、正直、これは売れないなと‥‥。あの印象的なイントロはなくて、先生の生ギターと歌だけでしたから」
楽曲にはのめり込めなかったが、高校卒業を間近に控え、どうしてもデビューしたいという気持ちが強かった。そしてレコーディングが完成すると、冒頭のように発売前から話題となる。発売と同時にTBSで「ザ・ベストテン」が始まったこともあり、瞬く間にチャートの1位を獲得。
「あっという間に売れちゃったから、歌手になった実感をかみしめることもない。まだ電車に乗って仕事場を移動しているのに、どこに行っても『あ、畑中葉子だ』と言われてしまう。現実と私自身とのギャップは大きかったです」
同期でレコード会社も同じ石野真子は、デビューから2年後に「春ラ!ラ!ラ!」で初めてベストテン入りした。涙を流して喜ぶ姿に、ヒット曲を出すことの厳しさを再認識した。
「真子ちゃんはあんなに人気があったのに、ベストテンに入るということは、それほどすごいこと。その時には私は下降線に入っていて、焦りが出ていました」
下降線に入ったのは、平尾とのデュオを早々に解消したことも否めない。78年の紅白は満場一致で当確がついていたが、畑中のソロ志向は強く、そのステージを最後に師弟としては「歌い納め」となる。
「紅白の少し前から、世間の風当たりの強さを感じるようになりました。どれだけ先生が“風よけ”になっていただいたのかも実感しました。私は新人であるはずが、先生と一緒に歌っているだけでスケジュールもどんどん入ってきますから。ただ、それでもソロでやりたいという気持ちには変わりはありませんでした」
16歳で父を亡くした畑中にとって、平尾は兄のようであり、父のようでもあった。そんな師から独り立ちすることを宣言して臨んだ「最初で最後の紅白」のステージ──。
「2コーラス目が始まった時です。NHKホールの2階席に、2年前に亡くなった父の姿が一瞬、見えた気がしました。大学時代には歌を習っていた父が、ここに来てくれたと思うとウルッとしました」
ただし、畑中の人生はここから劇的に変化する。紅白からわずか5カ月後に平尾の門下生と結婚して引退。そのことを平尾に報告すると「しょうがねえな」と言われたという。
その後、波乱の人生を送ってきたが、今も歌への情熱は失っていない。また師である平尾は、昨年の紅白でタクトを振ったあと、危篤状態に陥ったこともあった。
「つい先日もお会いしましたが、1日も早く全快していただけたらと思います」