70年からは「中央競馬ダイジェスト」(フジテレビ系)で競馬評論家としても本格的に活動を始めた。
「競馬についてはズブの素人でした。そこで巨泉さんは専門の取材スタッフに情報収集を頼んで、彼らから渡されたノートを頭に叩き込んでいた」(テレビ関係者)
知識はにわか仕込みでも切れ味鋭い話術で補った。
「局のプロデューサーにも媚びることなく、モノが言える人だった。ビートたけしにも『お前よ~』と小僧扱いしていたが、そういうスタンスは引退するまで変わらなかった」
とは、インタビュー経験がある芸能評論家の肥留間正明氏だ。番組作りにも独自のスタイルを貫いた。
「番組に呼んだゲストのノリが悪いと、さりげなく水割りを出していた。ビックリしたのは、75年に広島カープがセ・リーグで初優勝した際、『11PM』で特集を組んだこと。日テレの親会社を差し置いて、巨人の宿敵を特集するなんて考えられなかったけど、巨泉さんは何も言わせなかった」(前出・テレビ関係者)
小倉智昭と同じく巨泉さんを師とあおぐ愛弟子、タレントの乱一世(66)も、全盛期を知る一人だ。
「巨泉さんの事務所に所属が決まって、挨拶しようと『11PM』の収録スタジオにうかがった。たまたま用事があって、スタジオの脇にある赤電話で通話していたら、ツカツカとやって来て『オイ、俺が使うから今すぐ切れ』ですからね。迫力に圧倒されました」
所属2年目にして、乱は事務所主催のパーティの司会を任されたが、
「死に物狂いで務めました。巨泉さんが、『こんなにしゃべりのおもしろいヤツがうちにいたんだねえ』とほめてくれた。それが自信になって、この世界でやっていく決意が固まったんです」(乱)
巨泉さんが生涯の趣味にしていたゴルフにも、乱は何度も付き添っている。
「プレーよりもマナーを大切にする方でした。別の組で回っていた女性客のグループがうるさくてね。巨泉さんはすぐに注意しに行って『静かにしなさい』と一喝していました」(乱)
「週刊現代」(7月9日号)に掲載された連載コラム「今週の遺言」最終回では、
〈このままでは死んでも死にきれない〉
としたうえで7月の参院選を視野にこうつづった。
〈選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉
だが、結果は与党の大勝に終わった。
「身をもって戦争の悲惨さを知る巨泉さんは、日本が『戦争ができる国』になってしまうのをいちばん心配していたのではないでしょうか」(前出・肥留間氏)
ふてぶてしく、頼もしくもあった“巨泉節”はもう聞けない。合掌──。