昭和の巨星逝く──。「11PM」をはじめ、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」「世界まるごとHOWマッチ」など人気番組の司会者として一世を風靡した大橋巨泉さんが、去る7月12日、82年の人生に幕を下ろした。豪快で型破りな素顔を愛弟子らが“まるごと”明かした。
「どうぞ大橋巨泉の闘病生活にあっぱれをあげてください。勇敢に戦ってきました。特に4月からの3カ月間は死を覚悟し、全てを受け入れて一言も文句を言わず、痛みを訴えず、じっと我慢をしてくれました」
47年間連れ添った妻・寿々子さんは報道陣に配った文書で夫をそうたたえた。
05年に胃ガンの手術をして以来、11年間にわたってガンとの闘病を繰り広げてきた。13年に咽頭ガン、14年にリンパ節のガン、そして昨年には肺ガンが判明し、今年2月には左鼻腔内にガンが見つかった。まさに満身創痍だった。
巨泉さんにスカウトされて約40年前にフリーに転身した愛弟子のキャスター・小倉智昭(69)が述懐する。
「18日に営まれたお通夜で最後のお別れをしてきたのですが、巨泉さんの体は細くなり、昔の面影はなくなっていました。いろいろ口うるさい巨泉さんが、死が近づくにつれ、最後のほうはありがとう、ありがとうとしか、言わなくなっていました。奥さまの寿々子さんによると、亡くなる直前、巨泉さんは言葉が出なくなり、指を折り曲げ、3と9でサンキューって感謝を表したといいます」
90年に55歳で「セミリタイア」した際には、今後の生き方について、
「まず第1には健康ですね。第2はパートナー、つまりカミさん」
こう語って第一線を退いた巨泉さん。テレビ界に残した功績はあまりに大きい。真っ先に浮かぶのは、65年にスタートした「11PM」(日本テレビ系)だろう。
「ボイン」の流行語を生んだ伝説の深夜番組で、アシスタントを務めた松岡きっこ(69)が収録の舞台裏を明かす。
「現場では完璧主義者でゲストの事前調査も入念に行っていました。しかも努力家。でも、そんなそぶりは見せずに、『俺、本なんて読んでない』なんて言う。しっかり勉強しているんですけどね。そうそう、いつも本番ギリギリにスタジオ入りしていましたが、台本はきちんと覚えて収録に臨んでいましたよ」
競馬、マージャンなどのギャンブル、そして裸をテレビで取り上げるのは当時タブーとされていた。
「どんなにアブないネタを扱う際にも、巨泉さんは『俺が責任を取る』とおっしゃっていました。だからこそ、スタッフ一丸となっていろんな企画に挑戦できたのだと思います」(松岡)