「さすがに身がもたないわ」
さて、そんな紀子さんは二子山親方夫人時代にも、実は18歳年下の青年医師・M氏との「不倫」が発覚した過去がある。
振り返れば、結婚している時期も含め、彼女は男性を巡る華やかなエピソードには事欠かなかった。
大分県出身の紀子さんは元女優。藤田憲子の名前で1967年、「雌が雄を食い殺す
三匹のかまきり」(松竹)でデビューした。彼女の女優時代を知る古参の芸能プロ関係者が言う。
「当時は和製マリリン・モンローと言っていいほどのフェロモンを感じたものです。何しろ目に力があって、大柄じゃないけど胸が張っていて男が放っておかないプロポーション。本人も自分の魅力をわかっているようで、服装も花柄や原色が好み。通りを一緒に歩くと、すれ違った男がみんな振り向いたもんです」
デビュー作「雌が─」の制作関係者が言う。
「あの作品には主人公と愛人の濡れ場があったんですが、愛人役の女優がドタキャン。彼女が急きょ抜擢されたんですが、『脱ぐのも平気です』と意欲的でした。当時は女優も男とたくさんつきあって芸の肥やしにしろという時代でした。彼女も食事に誘うと、すぐついてきたり、そういった努力をしていましたね」
本人も当時、女性誌のインタビューであるタレントとの交際を認めたうえで、「他にボーイフレンドも10人ぐらいいる」と語るなど複数の男性との交際をほのめかしてもいた。その頃、関係者の間でかなり深い仲とも言われていたのが、大物俳優のTだった。前出・芸能プロ幹部が言う。「私が『Tとつきあっているの?』と水を向けると、あっさり『あ~、バレちゃった』。Tが女優としての紀子さんをバックアップしてあげていたらしい。当時は芸能マスコミもうるさくなかったので、『いいけど、深入りせず慎重にね』と忠告すると、『ハイハイ、大丈夫』なんて笑っていましたよ」
その後、紀子さんは貴ノ花として人気絶頂だった二子山親方と恋に落ち結婚、おかみさん業に邁進した。後援会関係者が振り返る。
「親方と紀子さんの仲のよさは、息子たちの若貴兄弟がデビューしてからも続いてましたね。弟子がいないと『の~りちゃん』と部屋の中を探して歩くんですから。『のりちゃん、どこにいるのかな』って、押し入れを開けたりテーブルの下をのぞいたり。あの子供のようなしぐさは、実にほほえましかったですね」
一般に力士のセックスはエネルギーが有り余っているだけに人一倍激しいのだが、花田家に詳しい人物は本誌にこう語る。
「力士は一晩で10 回シタというのはザラですが、二子山親方もそのぐらい激しかったと聞きましたよ。『もう、さすがに身がもたないわ』なんて話を、本人からも打ち明けられました」
巡業中で家を空ける時なども、妻の動向を気にして頻繁にチェックの電話を入れるほどだったというが、その後の展開を二子山関係者が明かす。
「逆にそれが紀子さんの気持ちが親方から離れるきっかけになったようです。親方との間に隙間風が吹き始めた頃に現れたのが、『不倫相手』のM医師で、彼にのめり込んだ紀子さんは、下着の色まで変わり、白星を大事にするため純白だった下着も、M氏が好みの黒も身に着けるようになったらしい。それだけに関係を否定された時の紀子さんの怒りは、尋常じゃなかった」
まさに出会った男性に四十八手さながらのさまざまな恋愛テクを繰り出してきた紀子さん。綾部に「本命は、さる元人気Jリーガー夫人」との報道が流れる中、次にどんな一手を見せるのか!?