「放送事故が趣味で、大好き」と公言するのは、放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏。まさに隣で起こったハプニングから、テレビ史上忘れられない伝説まで、放送事故への愛を語る。
隣で目撃したもので忘れられないのは、大仁田厚が松野行秀を襲撃した「芸能界も構造改革だ!ワイドショーの主役!!直撃!追跡!大追突!」(01年12月30日、テレ朝系)です。
大仁田のマイクパフォーマンス後、松野が「なに興奮しているんですか」とあおると、大仁田が戦闘態勢になってイスを投げつけた。すぐにスタッフがワッと集まって止めたんですけど、スタジオの温度が10度は下がりましたね。しかもこの番組、生放送じゃなくて収録だったんですよ。このおもしろい場面をカットしなかったのが偉いですよね。
他にも同じスタジオにいたのが、「サンデー・ジャポン」(03年10月12日、TBS系)での出来事。僕のコーナーが始まると、当時、同番組でブレイクした橋下徹が突然「ちょっといいですか」と挙手して、前に出てきたんです。何だろう? そういえば珍しくスーツ着ちゃって、と思っていると、「前週の発言の責任を取るために降板します」と、長々と説明を始めたんです。そして言い終えると、そのままスタジオを出ていって、みんなビックリ。番組終了後、必死に止めたことを覚えています。番組を降板したくせに「まい泉」のカツサンドをたくさん持って帰った。
その問題発言とは「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」だったそうですが、みんなも覚えていないレベルだし、他の収録番組でも問題なく放送されていたことでした。まあ、このおかげで僕のコーナーの視聴率が急激にアップしたので、ありがたかったんですけどね(笑)。
昔は政治的発言もたくさんありました。73年には「夜のヒットスタジオ」(フジ系)で前田武彦が共産党に対して「バンザーイ!」とやったり、「題名のない音楽会」(テレ朝系)では、タカ派の司会者が、無理やり「君が代」をやろうとしたり。
僕は98年に「笑っていいとも!」(フジ系)で、「ANAとJALが合体したら?」という言葉遊びに、「アナル航空」とよけいなギャグを言ってタモリさんに怒られたことがありますが、80年代の土曜深夜の激戦区は、今では考えられない下ネタの連発でしたね。
中でも「オールナイトフジ」(フジ系)で、「オーラルセックスが下手」という相談ハガキに対して、小森(和子)のおばちゃまが「私が教えるわ」と、マイクを男性器に見立ててマジメにフェラチオ実演を始めちゃったんです。
そうそう、マイクではこんな放送事故も。NHKの歌番組に出演した八代亜紀が、立ち位置を間違えて、舞台下からせり上がってくるマイクがスカートの中に‥‥。そして触れちゃいけないところを“直撃”してしまい、かつてないほど高い歌声を出した、と。これは伝説ですね。
僕も3年ほど出演していた「夕やけニャンニャン」(フジ系)も、毎日がハプニング。あの時の熱風、熱気はすごかった。でも今は、ハプニングを期待できる番組は「サンデー・ジャポン」くらいしかありませんね。今だったら、松居一代を出演させればいいのに。もし何かあれば、あとでアナウンサーが訂正すればいい。
最後のとりでは、放送自体が放送事故のTOKYO MXだけですね。「バラいろダンディ」や「5時に夢中!」は、録画する機材がないから全部生放送なんだそうだけど、2年前にも駐車場でドローンを飛ばしたら、隣のイギリス領事館の庭に落下して、小さな国際問題を生んでいた(笑)。
そして芸能人の最後のとりでは、江頭2:50だけ。生放送でとんでもないことをできるのは、彼しかいません。彼がいなくなったらテレビは終わり。彼は放送事故界のヒーローです。