くりぃむしちゅーの上田晋也と有田哲平が、2人で抱えているテレビレギュラー番組を合わせてみると、毎日どこかの局でテレビに出ていることになる。正真正銘の超売れっ子だ。
有田は昨年末、およそ2年間にわたって交際した女性とゴールイン。今年7月期では、初主演となったドラマ「わにとかげぎす」(TBS系)がスタートし、公私ともに絶好調だ。
2人は高校時代からの親友で、地元・熊本県から芸人をめざして上京。1991年に、「海砂利水魚」というコンビ名で芸人デビュー。翌1992年、あるコンビ芸人に弟子入りしている。お笑い業界に詳しいスポーツ紙の芸能記者は言う。
「大人気だった『コント山口君と竹田君』のもとで修業を積みました。山口君と竹田君は当時、芸能プロダクションを経営しており、そこに、立教大学の学生だったと有田さんと、早稲田大学の学生だった上田さんが訪ねたんです。しかし、山口君が『学生と芸人の二股は無理』と言ったことで、上田さんは中退。有田さんは偶然にも、お父さんが亡くなったことによって自主退学。その後およそ1年、有田さんは山口君、上田さんは竹田君の付き人になりました」
山口君と竹田君の付き人制度は独特だった。身の回りの雑用をいっさいさせず、映画やライブ、舞台を鑑賞して、感性を磨くよう指示したのだ。アルバイトも禁止。そのかわり最低限の生活ができる給料を渡した。
苦労を知らない20代の2人。上田はこの時、世界的に有名な超大物俳優を前に大失態を犯している。
「竹田君が大河ドラマで渡辺謙さんと共演した時のこと。プライベートの場で、竹田君と上田さん、渡辺さんと付き人の4人で会食したそうです。そこで、キャリア1年に満たない上田さんが断りなしに喫煙した。温厚なことで知られる竹田君も、さすがに注意したそうです」(前出・スポーツ紙芸能記者)
しかし、山口君と竹田君は、2人を1度も叱ることはしなかった。アドバイスを送ったのはわずかに1度だけ。上田がボケ、有田がツッコミの役割を逆にしろということだけだ。結果それがみごとに奏功し、不動の地位を手に入れたといえる。コント山口君と竹田君は、くりぃむの恩人なのだ。
(北村ともこ)