テレビのレギュラー番組7本を抱え、飛ぶ鳥を落とす勢いのお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」。彼らの師匠に当たるベテランコンビ「コント山口君と竹田君」に、今や売れっ子となったくりぃむの若き日々を語ってもらった。
師弟の出会いは1991年。当時、「山口君」こと山口弘和(56)が代表を務めていた芸能プロダクションに芸人志望の大学生、上田晋也と有田哲平が訪ねてきたのがきっかけだった。
「自分の経験上、学生と芸人の二股は無理だと思っていたので『中退して飛び込むか、卒業後にあらためてチャレンジするか、どっちかに決めたほうがいい』とアドバイスしました」(山口)
上田のほうは単位の問題もあったらしく、あっさり大学を辞めたが、有田は少し迷ったようだ。
「しかし、僕らと会った直後に父親が亡くなってしまい、学生生活を続けるのが難しくなった。それでふんぎりがついたようです」
ここから約1年、有田は山口の、上田は「竹田君」こと竹田高利(55)の付き人生活を送ることとなる。ちなみに、この割りふりには理由があった。
「竹田の付き人は、上田のような気が利いて頭の回転が速いタイプじゃないと務まらない。竹田自身はまったく正反対の人間ですからね(笑)」(山口)
竹田によると、上田は竹田のことを先輩だとは思っていなかったと言う。当時、「山口君と竹田君」は月に一度ライブを開催していたが、その稽古中、竹田が山口から単純なダメ出しを何度も受ける。
「上田はその様子を『こんなこともできないのかよ』という表情で見ていました。何しろ、将来の目標を尋ねたら『竹田さんみたいなコメディアンにはなりたくない』と答えたくらいのヤツですから(笑)」
そんな上田に、竹田が一度だけ注意をしたことがある。
「大河ドラマで共演させていただいた渡辺謙さんとその付き人、僕、上田の4人で酒を飲んだ時のこと。途中から上田が断りもなくタバコを吸い始めたんです」
キャリア1年未満の付き人のふるまいとしてはいささか問題あり。竹田は上田をやんわりとたしなめた。
「頭のいいヤツですから、すぐに理解したようです。芸については持論を曲げるタイプじゃないですが、そういう点は素直に耳を傾ける男でした」
有田にも似たようなエピソードがある。若手特有のプライドのせいか、バラエティ番組で同世代の芸人がしゃべっているとやたらと斜に構え、意地でも笑うまいという態度が目についた。そんな有田に、山口はこう諭したという。
「演者がつまらなそうな顔をしていたら視聴者も絶対に楽しめないよ、と。彼もすぐに改めたようです」
ネタの内容については口を出すことをしなかったが、唯一、ボケ役とツッコミ役の変更だけはアドバイスしたという。
「当時は上田がボケで有田がツッコミ。今とは逆ですが、どうにも違和感がありましたね」
一方で、身の回りの世話や送迎などの雑用は一切させなかった。そんな時間があるなら、興味のある映画やライブなどを見て感性を磨いてほしかったからだ。アルバイトに奔走されないよう、最低限の生活ができるだけの給料も出した。
「僕らがしてやれたのはそのくらいのことですよ。落語のような伝承芸と違って、コントや漫才は古い感性を押しつけてもお客さんや視聴者にはウケませんから。彼らはあくまでも自力で今のポジションを確立したんですよ」(山口)
師匠2人のこのすがすがしいスタンスが、現在のくりぃむに受け継がれている気がしてならない。