日本政府の「収束宣言」にもかかわらず、いまだ不気味な沈黙を続ける福島第一原発。その内部が10月12日、報道陣に公開された。しかし、依然として高濃度の放射線にさらされた身の危険の先には、いまだ作業員が入れない“魔窟”があったのだ。
冷却システムのお粗末な実態
東京電力は10月12日、福島第一原子力発電所を報道機関に公開した。
筆者を含めた報道陣は防護服に全面マスクを着用し、東電の用意するバスに乗り込んだ。秋晴れの天気にもかかわらず、自然と緊張感にあふれた車内では、東電広報室の担当社員がマイクを使って構内を丁寧にガイドすることになっている。
こうした形で、東電が国内の報道機関に、福島第一原発の敷地内を公開するのは、事故後4回目。今回は新聞、テレビ、外国人記者、雑誌、ネットメディア、フリーランスなど合計門前の空間放射線量は毎時8マイクロシーベルトだったが、正門を抜け免震重要棟前の駐車場に来ると、数値はいきなり73.2マイクロシーベルトまで高くなる。
バスは、さらに原子炉建屋に近づいていく。そして1号機から3号機までの原子炉を冷却するために水を供給している「炉注水ポンプ」と45人が参加した。
バスが福島第一原発の正門に近づく。実は、この正門前には、事故から1カ月がたった11年4月18日にも訪れている。その時にも取材を申し出たが、けんもほろろに追い返されてしまったのも記憶に新しい。今回は、それから1年半が経過してのリベンジとなる。
報道陣を乗せたバスは、正門をくぐって構内へ向かう。すると、車内の空間線量が徐々に高くなった。正門前の空間放射線量は毎時8マイクロシーベルトだったが、正門を抜け免震重要棟前の駐車場に来ると、数値はいきなり73.2マイクロシーベルトまで高くなる。
バスは、さらに原子炉建屋に近づいていく。そして1号機から3号機までの原子炉を冷却するために水を供給している「炉注水ポンプ」とその水をためておく「バッファタンク」前に到着した。
タンクからは、直径約20センチ程度のホース数本が、原子炉までつなげられている。ここからいちばん遠い3号機まで、直線距離にして約500メートル。この数百メートルの距離を、日曜大工センターに行けば誰でも購入できるような細くて頼りないホースが、今なお日本中を危険にさらしている原子炉や格納容器にたまっている核燃料を冷やしているのだ。まさに「命の水」が行き来している設備を見れば、いつ水が漏れてもしかたないと思わざるをえない。
事故後、何度も「汚染水が漏れた」というニュースが流れたが、日本政府の言う安定・安全が、いかに安っぽい軽い言葉かを痛感した瞬間だった。
そして、これまでの構内の高台から坂を下る道にさしかかる。この先には、福島原発の1号機~4号機が待ち構えている。
まずは各建屋の海側を時速十数キロのスピードで走り抜ける。さびた鉄骨が剝き出しになった建物、横転した車両、端に寄せられたガレキの山、海岸線にぶつかって立つ波しぶき‥‥。ここが、東北各地に今も残っている津波の被災地の最前線であることを、まざまざと見せつけられるのだ。
人間が近寄れない危険な場所
「1号機タービン建屋海側、毎時350マイクロシーベルト」
「2号機タービン建屋海側、毎時120マイクロシーベルト」
「3号機タービン建屋海側、毎時450マイクロシーベルト」
「4号機タービン建屋海側、毎時200マイクロシーベルト」
バスが、原子炉建屋の前を横切るたび、東電の職員が次々と車内の空間線量を読み上げていく。だが、あまりのスピードの速さに、目の前にある高層の建屋で何が起きているのか、車中からは何もわからない。
しかも、東電の職員が報道陣に対し、くれぐれも「防犯上、写さないでほしい」と釘を刺された建屋の入り口の損傷は、今も生々しい傷跡が残る。津波の影響でシャッターが破壊され、そこを作業員や大型車両などが行き来しているのだ。
バスは4号機まで通り過ぎ、裏手の山側に回った地点で停車した。ここで10分間、4号機の原子炉建屋の様子を外側から眺めることができた。
4号機は、使用済み燃料プールに大量の核燃料がいまだ残されており、危険な状態が続いていると懸念されている場所だ。来春にも行われると言われている燃料棒を取り出すための作業が、淡々と進められていた。
現場の状況を東電の担当者が説明する中で、筆者が気にかかったのは、4号機の向こうにかすかに見える3号機の様子だった。
くしくも9月22日、3号機では、まだ片づけられず建屋内に残っているガレキの鉄骨が燃料プールに落ちる事故が起きていた。そのため、3号機の事故収束作業は全面的にストップ。まったく再開のメドさえついていない状態だった。
よくよく見ると、3号機原子炉建屋の真上から、中の様子を確認するための監視カメラなどが、大型クレーンを使ってつり下げられているのがわかる。いまだに人間が近寄れないほど危険な場所なのだ。
一方、降車地点に程近い4号機では、使用済み核燃料プールのすぐ横の壁面で作業員が作業をしているのが見える。取材している場所も、ガレキなどはキレイに片づけられている。
線量計を見ると空間線量は毎時100マイクロシーベルト前後と高い数値だが、海側の空間線量と比較すればわかるように、原子炉建屋の目の前としてはかなり低く抑えられている。作業員が入ることすらできない3号機とは対照的な印象だった。
わずかな見学時間を終え、再びバスは1~2号機の山側に移動する。しかしここでも3号機の目の前は「作業中のため」という理由で通ることができない。バスは3号機を避けていったん高台に登り、1~2号機に向けて再び坂を下る。東電は3号機の様子をどうしても公開したくないのだろう。明らかな意図が感じられる運転ルートだった。
東電が“隠したかった”コト
そして、バスはやや加速し、1~2号機の原子炉建屋前を通過していく。2号機入り口付近で作業員が立っている姿を見たが、あっという間に通り過ぎてしまい、どんな作業をしているのかもわからない。
「もうちょっとゆっくりお願いします!」
筆者は思わず運転席に向かって叫んだが、聞き入れられずに通過していった。
東電社員から「1~2号機原子炉建屋山側、毎時900マイクロシーベルト」と告げられた。この日、いちばん高い数値だ。しかし、肝心の数値の近い場所がいったいどうなっているのか、あのようなスピードで走り抜けられてしまっては何もわからない。
このあと、東電が最も報道陣に披露したかったであろう新型設備「アルプス」が公開された。構内にたまった汚染水の放射性物質を浄化する装置だ。
構内には現在、約20万トンもの汚染水がためられているというが、年内にもこの設備が稼働すれば、毎日400トンずつの汚染水が浄化されていく計算だが、筆者には「報道陣に公開しています」という東電のアリバイ作りにつきあわされたという印象である。
構内取材を終えて再び免震重要棟に戻った報道陣は、最後に高橋毅所長の囲み取材を行った。しかし、およそ20分間の囲み取材の中、目新しい情報もなく、記者の質問が続く中で打ち切られた。
ある東電社員は、構内取材後の筆者に、
「正直言って、3号機はガレキの撤去だけでもいつになるかわからない」
と漏らした。筆者がかすかに見た3号機の印象も、まったく同じであった。
取材の前後、放射線の内部被曝を検査するホールボディカウンターを受けたところ、
入所前=1036cpm
退所後=1136cpm
と若干数値が高くなった(筆者注 事故後、たびたび原発周辺で取材を続けていたため、もともと内部被曝をしていた)。
この日の外部被曝線量は、62マイクロシーベルト。
警戒区域で一日取材しても、ここまでの結果が出ないほど高い数値だった。
だが合計で約3時間行われた取材にもかかわらず、このリスクと引き換えに得た成果は、むなしさばかりが残るものであった。