昨年、バミューダ海域でスペインの沈没船から5億6000万円相当の金貨が発見され世界中の話題となった。そもそも、この船は400億円相当の財宝を積んでいたという。しかし財宝は海外ばかりでなく、日本列島こそ「埋蔵金の宝庫」。懐寂しい年末なら、せめて一攫千金を夢みて、発掘の旅に出るのも一興か。
「日本各地にゴマンとある埋蔵金伝説の99%は完全なフィクションです。何らかの真実味が含まれているものは1%程度でしょう」
書籍や専門家の意見、資料などから、今回把握しただけで、すでに発見されたものも含め、「埋蔵金伝説」の言い伝えは日本全国で364カ所にも上る。勢い込んで発掘の指南を求めたのだが、のっけからこう返してきたのは、日本を代表するトレジャーハンターであり作家の八重野充弘氏(70)だ。八重野氏は1974年に天草四郎の軍用金探しを始めて以来43年。これまで30カ所以上を調べ歩き、実際に発掘作業を行った場所も13カ所に至る。
そんな筋金入りのトレジャーハンターから夢のない話がいきなり飛び出したわけだが、八重野氏は気を取り直して言う。
「埋蔵金は日本各地で数多く発見されていますが、大半は言い伝えもなく偶然によるもの。だからこそ、すでに知られている場所以上に可能性が広がると思うんです」
61年7月31日、山形県西置賜郡白鷹町の最上川で魚獲りをしていた小学生が小判を1枚発見する。
あっという間に町じゅうの話題になり、ピーク時には100人以上が最上川の川底を血眼で探し回った。
結果、小判23枚(1枚=1両)、二分金9枚、二朱銀358枚が見つかる。現在の価値に換算すると約2000万円に相当するとか。
米沢藩京都御用商人・西村久左衛門の埋蔵金説や白鷹町と米沢市を往復していた飛脚が最上川を船で渡る際に転覆して落とした80両の一部との説が出ている。
川から発見された例は他にもある。58年、現在は埼玉県春日部市になっている庄和町の宝珠花神社近くの江戸川べりで1枚の二朱金が見つかった。ここでもあっという間に埋蔵金ブームが沸き起こり、江戸川岸は埋蔵金探索者であふれた。そしてなんと、1550枚もの天保小判などが発見されたのだ。
ちなみに、このうちの1000枚ほどは発見者がネコババ。バレて横領罪で書類送検された。埋蔵金は民法241条「埋蔵物の発見」の規定により「遺失物法」の適用を受けるためだ。
「埋蔵金を埋めた子孫など、相続権を持つ人物が半年以内に名乗り出た場合は、『報労金』として埋蔵金の価値の5~20%の金銭を受け取る権利がその人物に与えられるんです。また、半年以内に相続権者が特定できなかった場合には、発見者と発見された土地の地主で折半となる」(八重野氏)
ただし、発見されたものが歴史的に価値のある場合は、「文化財保護法」が適用されることもある。こうなると自由に売買はできない。これが沈没船になると適用法は「水難救護法」になり、発見者は権利者がいる場合は3分の1、いない場合には全て自分のものになるのである。