テリー 最初に落語に触れたのは、いつですか。
志らく 父親の影響で、小学生の時からです。ただ、その頃好きな名人はみんな亡くなっていましたし、同時に映画も好きでしたから、そもそも落語家になりたいとも思ってなくて。
テリー あらら(笑)。それがまた、どうして?
志らく たまたま大学生の時に、馬生師匠が亡くなる前の高座を観たんです。いちばん前の真ん中の席だったんですが、まあ声は出ないし、途中で絶句しちゃうしで、落語としてはボロボロだったんです。でも、なぜかすごくカッコよくって、感動したんです。「もう、この人の弟子になろう!」って。でも、その10日後に馬生師匠は亡くなられてしまって。
テリー すごい、そんな状況でも高座に上がっていたんですね。
志らく その後、寄席に行ったら談志が落語をやらずに、馬生師匠の思い出を語ってたんです。それがまたカッコよかったんですよ。客に「落語やれ!」ってヤジられても、「馬生さん死んじゃったのに、できねえよ」って、悲しみにあふれててね。それが、強烈な印象として残ったんです。
テリー それまで、談志師匠のことはどう思われていたんですか?
志らく 全然好きじゃなかったですね。落語家といっても、当時の談志はあまり落語をやっていなかったし、「どうせ、タレント議員だろ」なんて思ってて、まったく眼中になかったんですよ(笑)。
テリー アハハハハ! そこからのスタートなんだ。
志らく でも、それからあらためて談志の落語を聞きに行くと、本気でやる時はすごい落語を見せてくれて、自分が追い求めていた名人と同じ空気を出していたんですね。それで弟子になろうと、大学1年の時に日大芸術学部の落語研究会に入るんですが、4年の夏合宿に高田文夫先生が遊びに来たんですよ。
テリー ああ、日芸落研のOBなんですよね。
志らく ええ。で、いきなり「お前ら、落語やれ。俺を笑わせろ」と言われまして。みんなでやったあと、最後に私にだけ「お前、落語家になれ」と。
テリー さすが高田さん、才能への嗅覚がすごいね。
志らく その時、高田先生に「誰の弟子になりたいんだ?」って聞かれたんです。頭には「談志」の名前があったんですけど怖いし、立川流ができたばかりで寄席に出なくなった時でしたから、躊躇しつつも、はずみで「先生と同じです」と。先生と(ビート)たけしさんが、談志の弟子になった直後だったんですよ。
テリー ああ、立川藤志楼(高田)、立川錦之助(たけし)の名前をもらっていたね。
志らく そしたら「いい了見だな。お前、もう間違いなく売れるよ」と。で、夏休みが終わったら、本当に談志のところに連れてってくれて、「俺の子分なんです、弟子にして。才能はありますから」「よし、わかった」というやり取りで、あっという間に弟子になっちゃったんです。
テリー トントン拍子じゃないですか。でも、才能が外に出て行くっていうのは、こういうことなのかもしれないね。
志らく 談志に「まだ大学生なんです」と伝えると、「まあ、程よくやっとけ」とか言われましたけど、「通いで毎日来い」ってなっちゃったので、結局、親に内緒で退学届を出してやめちゃったんです。