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天才ヒットメーカーを休業させた桑田佳祐の「パロディー曲」/日本音楽シーン「名作裏面史」
ソロ活動35年目を迎えた桑田佳祐が「感謝の“5倍返し”!!」をキーワードに、11月から5大ドームを含む全国ツアー「LIVETOUR2022お互い元気に頑張りましょう!!」の開催と、ベストアルバム「いつも何処かで」(11月23日発売)のリリー…
カテゴリー: 芸能
タグ: サザンオールスターズ, 勝手にシンドバッド, 桑田佳祐, 阿久悠
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増田惠子「今の私があるのは恩師の方々のおかげ」
●ゲスト:増田惠子(ますだ・けいこ) 1957年、静岡県生まれ。1976年、「スター誕生!」(日本テレビ系)の決戦大会で合格し、同年、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」などのヒット曲を出し…
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八代亜紀、「舟唄」はあの昭和の歌姫に提供されるはずだった!?動画で秘話告白
故・阿久悠氏作詞の「舟唄」と言えば、歌手・八代亜紀の28枚目にして八代の名を世間にとどろかせた大出世シングル曲である。八代は1971年にシングル曲「愛は死んでも」でデビュー。73年リリースのシングル曲「なみだ恋」はミリオンセラーを記録して紅…
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黄金の“70年代アイドル”を総直撃<あべ静江>「みずいろの手紙」を本当は歌いたくなかった
ティーンエイジャーのあどけない子が多かった70年代アイドルシーンに、大人の美女が参入。あべ静江(69)の美しさには、誰もが目をみはった。──歌手デビュー以前は、愛知の東海ラジオで人気DJとして鳴らしていました。あべ地元の女子大に行きながらD…
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岩崎宏美「歌手・岩崎宏美をつくったのは阿久悠先生と筒美京平先生」
テリー再開したコンサートツアー、東京はいつ?岩崎今のところ決まってるのは、4月17日のルネこだいらと、5月5日の東京国際フォーラムですね。テリーじゃあ、そこで新しくなった岩崎宏美の歌が聴けるわけだ。岩崎ぜひ来て、皆さんに感じていただきたいで…
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<歌手生活50周年・特別インタビュー>八代亜紀「私が歩んだ昭和炎歌」(3)阿久先生の言葉は私の宝物
──歌謡選手権の時には、作曲家・鈴木淳先生のところにレッスンに通っていました。八代72年に10週勝ち抜いたあとは、先生のご自宅の2階に居候してレッスンを受けながら、曲ができるのを待ちました。私はいつ先生に呼ばれてもいいように寝ないで、夜中の…
エンタメ
天才テリー伊藤対談「船山基紀」(3)阿久悠先生の原稿はカッコよかった
テリー船山さんのお仕事が大きく注目されたのは、やはりジュリーの77年の大ヒット曲「勝手にしやがれ」ですよね。船山ええ。当時僕はまだ26歳で、それまで「ヤマハ音楽振興会」という会社で、主に「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」の応募…
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日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第3回>「1980年~五木ひろしVS八代亜紀~」(3)
良美は新人賞部門に、八代は大賞部門にノミネートを重ねるうち、思いがけない現象が起きた。会場にはアイドルたちの親衛隊がしのぎを削るが、良美のファンにとって聖子や田原は敵でも、八代は「応援すべきお姉さん」である。「私のファンの人たちが、八代さん…
芸能
日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第2回>「1978年~沢田研二VSピンクレディー~」(2)
「デビューした76年に新人賞、翌年に大衆賞、そして3年目にレコード大賞を獲りに行こうと思ったよ」それがピンク・レディーを擁した「T&Cミュージック」の社長・貫泰夫の思惑だった。決しておおげさな表現ではなく、当時の歌謡界は“ピンク旋風”が吹き…