ソロ活動35年目を迎えた桑田佳祐が「感謝の“5倍返し”!!」をキーワードに、11月から5大ドームを含む全国ツアー「LIVE TOUR 2022 お互い元気に頑張りましょう!!」の開催と、ベストアルバム「いつも何処かで」(11月23日発売)のリリースを発表した。
同アルバムは、同級生のミュージシャンに自ら声をかけて制作し、4月に発売されて大きな話題を呼んだ「時代遅れのRock’n’Roll Band feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」と、CMソング「平和の街」の新作2曲も収録予定。ファンにとって待望のアルバムとなることは必至だ。
今年6月25日、サザンオールスターズのデビュー44周年記念日に、「音楽人」としての「持続可能な5つの目標」を公開した桑田。振り返れば、そのデビューはまさに鮮烈というほかなかった。
サザンは74年、青山学院大学の音楽サークル「AFT」(青山フォークサークルたびだち)で知り合った桑田と関口和之により「温泉あんまももひきバンド」として結成された。
その後、メンバーチェンジを繰り返しながら、77年にヤマハ主催の音楽コンテスト「East West」に参加。本選で入賞し、桑田はベストボーカル賞を獲得する。レコード会社がビクターに決まると、「この男をテレビに出したら面白い」と考えた大里洋吉氏(所属事務所のアミューズ創業者、現会長)が彼らと契約を交わし、デビューしたことはよく知られる話だ。
デビュー曲として選ばれたのは、78年に発売され、大ヒットすることになる「勝手にシンドバッド」。この斬新なタイトルが、77年のレコード大賞曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」と、 同年のピンク・レディー「渚のシンドバッド」(いずれも阿久悠作詞)を無意味につなげたパロディー的要素溢れる曲だということは、誰の目にも明らかだった。
この時、桑田は22歳。 一方、大ヒットメーカーと言われた阿久は42歳。向かうところ敵なしで脂の乗り切った阿久にしてみれば、こんな海の物とも山の物とも知れない若者など、眼中になかったはずだ。ところがサザンは、一気に時代を飲み込んだ。
サザンが放った新しい感性は、一瞬で若者たちの心を鷲づかみにしたのだ。それは理屈ではなかった。真意のほどは不明だが、阿久はそんな桑田という若者を大きな脅威と感じ、突然、数カ月間の「休筆」に入ったとされる。
休業した阿久は、過去の栄光と決別。八代亜紀「舟歌」をはじめ、「雨の慕情」、小林旭「熱き心に」、河島英五「時代おくれ」など、オヤジ世代に向けた名曲を世に送り出した。
つまり「勝手にシンドバット」は、天才と言わしめたヒットメーカーさえも翻弄し、日本の音楽シーンそのものを揺るがす革命的名作だったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。