25年前、合法的な攻略法を用いて半年間で2億円超を稼ぎ、一世を風靡したパチプロ軍団「梁山泊」。その軍団を率いた元リーダーK氏が令和を迎え、再び動きだした。狙いは「カジノ」だ。「梁山泊」の結成から解散まで初めて明かされる逸話はもとより、“新生梁山泊”の野望をお届けする。
パチプロ軍団「梁山泊」のリーダーだった私が、なぜ今、インタビューを受けることにしたのか。大きな目的の一つは「カジノ攻略」です。数年後、日本でもカジノが解禁されると聞いて、今、トータルで勝てる攻略法を考えています。
ただその前に、私の心の中にずっとくすぶり続けている思いがありまして。仕事先などで「あの梁山泊のKさん?」と聞かれても、自信を持って「はい、そうです!」と胸を張れないことです。まずは、そこから話をさせてください。
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「梁山泊」は94年、攻略プロと呼ばれた男たち18人ほどで結成された。「同じホールには行かない」「混雑時は避けて1日3時間」「儲けたお金は全員で平等に分配する」など、独自の流儀のもと全国を渡り歩き、活動開始から半年間で2億円以上を稼いだスゴ腕集団である。
しかも、ゴト(違法)行為はいっさい行わず、合法的なテクニックを駆使して大当たりを連発。当時はニュース番組でも報じられたほか、その生きざまが漫画や映画化されるなど、まさに一大センセーションを巻き起こしたのである。
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全国制覇を4年間で成し遂げたあと、私はパチンコ攻略会社をスタートさせました。ただ攻略法を会員に販売するだけではなく、パチプロを目指す会員のための道場を作り、パチンコで生計を立ててもらえることを目指していました。
「梁山泊」で得た経験や知識が生き、最盛期には4万5000人ほどの会員がいましたね。そんな生活が5年ぐらい続いた頃、お世話になっていた方から「梁山泊の名前を使わせてくれ」という相談がありました。
最初はロイヤリティー契約でした。その数年前、「梁山泊」の名前を無断でかたった「ニセ攻略会社」がスポーツ新聞の一面広告で会員を募り、1億5000万円をダマし取る事件が起きていたので、私は常に慎重でした。
その事件は訴訟を起こし処理しましたが、その後、知人を介して「梁山泊の権利を譲ってほしい」と、とても熱心に頼まれました。私も年齢的に引き際を考えていたこともあって、譲ることにしたのです。ただし「名前を汚すようなことだけはしないでくださいよ」と。
ところが、権利を譲った先が詐欺師グループだったんです。ウソの攻略法で会員からお金を巻き上げる事件を起こしてしまった。今でも「あの時に私が譲らなければ」という思いが消えません。痛恨の極みです。
その反省もあって、もう一度「梁山泊」という名前の下で「カジノ攻略」をしてみたいという気持ちになったわけです。言ってみれば、私にとっての集大成ですね。
パチンコの攻略で得た知識と経験、そして世界BIG2のカジノ都市、ラスベガス、マカオで活動している「グローバルファミリー」という集団の英知を結集して、カジノの攻略を実現させたい。この新生「グローバルファミリー梁山泊」が少しでも一般の皆さんの助けになれないか。今、そんな思いでいます。