テリー 純さんは、マヒナスターズの頃もそういう髪型だったんですか?
タブレット その頃は、普通に黒髪で短くしていましたが、マヒナに入ってからは「七三分けにしろ」ということで。
テリー 男前だから、当時もさぞかしモテたんでしょう?
タブレット いえいえ、基本的にファンの方は60代以上のおばちゃんばかりでしたし(笑)、あと当時の僕には、そんな余裕なかったんですよ。
テリー それ、どういうことなんです。
タブレット マヒナに入るよりずっと前、専門学校に通っている頃にお酒を覚えたんですが、その後、新宿ゴールデン街でアルバイトをしていた頃には、すっかり酒浸りになってしまっていて。ステージに上がる怖さを紛らわせるためにお酒の力を借りたものですから、マヒナの時は常に酔っ払っていましたね。
テリー それ、アルコール依存症ってこと?
タブレット 今思えば、そうだったんでしょうね。楽屋でもお茶を飲む振りをしながら、ペットボトルに強いお酒を入れて飲んでいましたから。
テリー そんなことになっちゃってて、メンバーに怒られなかったの?
タブレット 目に見えてフラフラしているほどではなかったですし、リードボーカルではないので、ステージにそこまでの支障はなかったです(笑)。あと当時、多少お酒の匂いがしても、メンバーは「昨日の酒が残っているんだろう」くらいに思っていたんでしょうね。
テリー こうして話している分には、純さんは真面目そうだし、とてもそんな破天荒なタイプに見えないから意外だな。じゃあ、活動自体に支障はなかったの。
タブレット 先ほどもお話ししたように、当時のマヒナは分裂状態でしたが、お客さんが求めているのは、あくまでも「昔の和田弘とマヒナスターズ」なんです。だから僕らがステージに出て行っても、お客さんはポカンとしているんですよ。だって、主要メンバーがほとんどいないんですから。
テリー ああ、和田さんだけだもんね。
タブレット そうなると客席は「誰だ、あいつら」みたいにザワザワし始めて、酔っている方がいる時には「金返せ!」みたいな騒ぎになったこともあって。
テリー 厳しいねえ。
タブレット ですから、僕が在籍していた時のマヒナは、ほとんど仕事が成り立たない状態だったんです。ただ、マヒナスターズという肩書があったおかげで、あちこちのスナックに呼ばれ、おばちゃんたちの昼カラオケに参加しては、お酒を飲んでお金をもらうみたいなことをしていました。下手をしたら今より稼ぎがよくて、まるでホストみたいな生活でしたね。
テリー すごい話だね。
タブレット で、04年に和田さんが急にお亡くなりになって。翌年が結成50周年ということで、忘年会で「来年は新曲が出るから頑張ろう!」と誓い合ったばかりだったので、すごくビックリしました。1月5日が新年会だったんですが、そのタイミングで「亡くなった」という連絡がありまして。もう新曲のレコーディングも終わっていたんですけどね。
テリー そうか、もしそういった展開が実現していたら、純さんの現在の活動もまた変わったものになっていたかもね。