2020年のNHK大河ドラマの主人公に決まった明智光秀。主君の織田信長を本能寺の変で討った謀反人というイメージが強い光秀を主役に据えた意外性が、歴史ファンの間で話題となっている。そんな中、光秀の子孫が、これまで不明とされてきた前半生を解明する著書を上梓。謀反にまつわる定説にも異議を唱えている。
「明智光秀がどのような人物であったかについては、これまであまり掘り下げて研究されてきませんでした。しかし、信長に対する謀反の動機には、彼が培ってきた知識や論理、さらには思考法が深く関わっているはずです。現在多くの人が信じてしまっている本能寺の変に関する通説には、この視点がまったく欠けています」
こう語るのは明智憲三郎氏。光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫と伝わる人物だ。慶応大学大学院を修了後、三菱電機に入社。情報システムのエンジニアとして勤務するかたわら、光秀の調査・研究を続けてきた。退職後の13年に出版した「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)は現在まで約40万部を売り上げ、歴史書としては異例のロングセラーとなっている。
本能寺の変については、信長に恨みを抱いた光秀による謀反というのが定説となっている。だが明智氏は「光秀の前半生を解明すれば、そんな単純な動機でないことがわかる」と指摘する。
「この定説のもととなっているのは、変後に光秀を討った羽柴秀吉が自分の家臣に書かせた『惟任(これとう)退治記』です。さらに江戸時代になると、これを基本にした『明智軍記』などの軍記物で、さまざまなエピソードが創作されました」
光秀が信長に怨嗟を抱く根拠とされる逸話は数多い。例えば、「光秀の母親を信長が処刑した」「稲葉一鉄(信長の家臣)とケンカ別れして光秀に仕えるようになった斎藤利三(としみつ)を稲葉側に戻すように迫り、光秀の頭を叩いた」などのシーンは、歴史ドラマなどでも頻繁に出てくる。
「これらの逸話も軍記物の創作で、信憑性のある資料には一切書かれていません。一方で光秀は、古くからの同盟者である土佐の長宗我部盛親に勧めて、信長へ贈り物を献上させるなど、主君・信長へも十分に気を配っている。二人の関係は、本能寺の変の直前まで良好。光秀が恨みを持っていたと考えるのは無理筋です」