女中として採用される時はいわゆる「おぼこ(経験がない女性)」であることが条件だったのだろうか。
「それはよく言われていますが、ウソです。だいたいわからないでしょう。江戸の町娘たちは小さい頃からよくお稽古事に通って、踊りや謡(うたい)ができるということを武器にして御殿(お城)勤めをするんです。今で言えば、パソコンや簿記ができるといった技量・能力があることを売り物にしていた。それに尾ひれがついて、新米は一糸まとわぬ姿で踊りをやらされてそれを将軍がのぞいたとか、火鉢をまたがせて、くしゃみをさせ、灰が立ったら処女じゃないから失格になったとかいう話が伝わっていますが、そんなことはありません。だいたい、御半下(おはした)=端女(はしため)という、将軍様には絶対に会えない身分ですから」
ハーレムのような大奥物語は男にとって憧れだ。一度は「股火鉢」などやってみたいという向きもあるだろうが、将軍のセックスの相手は、原則として御中臈の中から選ばれ、そうした逸話はのちの庶民の創作というわけだ。
「今と比べれば厳格な時代ですが、一般的に言えば我々が想像するよりも江戸の町娘たちは奔放だった、つまり“お盛ん”だったはずです。江戸の町は、とにかく男が多かった。参勤交代で全国の大名たちの家臣たちが山のように付いて来て江戸屋敷に住んでいるわけですから、圧倒的に女が少ない。だから、モテたんです、江戸の町娘というのは」
岡崎守恭(おかざき・もりやす):1951年、東京都生まれ。早稲田大学人文科卒業。日本経済新聞社入社、北京支局長、政治部長、編集局長(大阪本社)などを歴任。歴史エッセイストとして、国内政治、日本歴史、現代中国をテーマに執筆、講演活動中。著書に『自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影』。