昨年末に「主人公が実は男だった」と報道され、ミソがついたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。しかし日本史には、そんな逆転の新説がまだまだあった。同じNHKの人気番組「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げない、有名武将や偉人の定説を覆すギョーテンの史実を一挙に紹介するぞ!!
1月8日に第1回が放送された、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。視聴率も16.9%と好調だが、昨年12月15日には、京都・井伊美術館の井伊達夫館長が会見で「井伊直虎=男性」説を唱えた。井伊館長が語る。
「これまで、『次郎直虎』と名乗っていた井伊直虎と、『次郎法師』を名乗る井伊家の女性が同一人物だというのが定説とされてきましたが、私が持つ文献には、2人がまったくの別人物である証拠の記述が確認できました。井伊家が治めた彦根藩の記録文書で、非常に信憑性が高いものだと思っています」
真偽についてはさらなる精査が待たれるが、歴史とは、新史料の発見などで常に新しい「定説」が更新されていくもの。現在の常識が“過去の遺物”になっていることも少なくない。
例えば、好評を博した昨年の大河ドラマ「真田丸」の主人公は真田幸村だが、実は「真田幸村」という名の武将はいなかった。「時代考証学ことはじめ」の共著者で歴史編集者の安田清人氏が解説する。
「幸村の実名は真田信繁で、生前の記録に『幸村』と記されたものはありません。『幸村』は信繁の死後、江戸時代の創作物でつけられた名前なのです」
おもしろいことに、「幸村」という名前を、真田家自身が認めている。
「幸村を主人公にした軍記物や講談などが民衆の間で大流行して、信繁という名前よりも有名になってしまった。そのため、徳川方について命脈を保った真田氏の本家筋でも、のちに家系図で信繁が幸村と改名したと誤った記述をしています」(前出・安田氏)
“江戸時代の真田丸”も、影響力はすごかったようだ。
織田信長が尾張の小大名から天下人に駆け上がるきっかけが、今川義元を討ち取った「桶狭間の戦い」だ。兵数で圧倒的に劣る小勢の織田軍が、今川軍に奇襲をかけたことが勝因であると知られているが、これにもギョーテン新説があった。「おんな城主 直虎」の時代考証を担当する、戦国史研究家の大石泰史氏が明かす。
「織田家家臣の太田牛一が残した『信長公記』では、今川軍がいたのは『桶狭間山』とあります。山ですから、陣を張るのは周囲が見渡せる山頂付近。これでは奇襲はできません。桶狭間は奇襲戦ではない、という説には説得力があります」
その信長の義父である斎藤道三が、実は2人いたというのだ。マムシの異名を持つ道三は、僧侶の身から「美濃の国盗り」を果たし成り上がった下克上大名として知られるが、
「下克上は道三1人で成し遂げていない、という説が有力です。語られる功績の前半部分は、父によるものだった」(前出・大石氏)
親子2代による国盗りだったというわけだ。