エンタメ

NHK大河「おんな城主」が男だけじゃないギョーテン新説!(2)家康vs三成の暗殺勝負!

20170126p2nd

 戦国時代でも特に有名な合戦が、武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」だ。これまで、川中島では計5回、信玄と謙信が矛を交えたとされてきたが、戦いは一度きりだったと、大石氏が明かす。

「5回というのは、『甲陽軍艦』などの武田方に残された史料に基づいたもの。上杉の軍略が伝わる、紀州徳川家の史料などでは7回という記述もあるのです。いずれにしても、実際に大きな戦いになったのは、1560年の第4次合戦だけで、そのほかはちょっとした小競り合いや、両軍が対陣してにらみ合っただけのようです」

 唯一とはいえこの戦いは、両軍合わせて7000人以上の死者が出た、戦国時代随一の激戦だったという。

 また、戦での有名なエピソードに、関ヶ原の戦いにおける「家康の問鉄砲」がある。西軍を裏切る、と約束していたにもかかわらず、戦が始まってもその動きを見せない小早川秀秋に対して、東軍の総大将・徳川家康が小早川軍の陣に向かって鉄砲を撃ち、決断を迫ったというものである。この「問鉄砲」が本当はなかったという説があるのだ。

「関ヶ原に関する一次史料(同時代に記された史料)には『問鉄砲』の記述はありません。『問鉄砲』を命じた家康の判断が勝利をもたらしたとすることで、家康や、その子孫の徳川将軍家の権威を高めようとした江戸時代の作り話の可能性が高いと思います」(安田氏)

 同様に徳川の威光を知らしめるために創作されたと言われるのが、石田三成にまつわる話である。

 豊臣秀吉の死後、豊臣家内で軍務を担う武断派と、政務担当の文治派が対立。加藤清正、福島正則らの武断派の7人の武将が、文治派のトップである石田三成を襲撃、三成が家康に仲裁を頼んで事なきを得た。この「七将襲撃事件」も実は創作だというのだ。

「三成は敵対する家康の伏見屋敷に逃げ込み難を逃れたとされていますが、実際に逃げ込んだのは自身の屋敷でした。七将は三成を暗殺しようとしたのではなく、家康に訴えて切腹に追い込もうとしていたようです。つまり、家康は両者の仲裁をする立場ではなく、すでに三成を処罰できる豊臣政権のトップだった。それでは宿敵三成を倒して天下を取ったという劇的な物語にならないので、七将をなだめて、三成の命をいったんは救ったという『美談』が作られたのでしょう」(前出・安田氏)

 安田氏いわく、家康にはこうしたプロパガンダ的な行動や情報操作が非常に多いのだという。

カテゴリー: エンタメ   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    デキる既婚者は使ってる「Cuddle(カドル)-既婚者専用マッチングアプリ」で異性の相談相手をつくるワザ

    Sponsored

    30〜40代、既婚。会社でも肩書が付き、責任のある仕事を担うようになった。周囲からは「落ち着いた」なんて言われる年頃だが、順調に見える既婚者ほど、仕事のプレッシャーや人間関係のストレスを感じながら、発散の場がないまま毎日を過ごしてはいないだ…

    カテゴリー: 特集|タグ: , |

    これから人気急上昇する旅行先は「カンボジア・シェムリアップ」コスパ抜群の現地事情

    2025年の旅行者の動向を予測した「トラベルトレンドレポート2025」を、世界の航空券やホテルなどを比較検索するスカイスキャナージャパン(東京都港区)が発表した。同社が保有する膨大な検索データと、日本人1000人を含む世界2万人を対象にした…

    カテゴリー: 社会|タグ: , , , |

    コレクター急増で価格高騰「セ・パ12球団プロ野球トミカ」は「つば九郎」が希少だった

    大谷翔平が「40-40」の偉業を達成してから、しばらくが経ちました。メジャーリーグで1シーズン中に40本塁打、40盗塁を達成したのは史上5人目の快挙とのこと、特に野球に詳しくない私のような人間でも、凄いことだというのはわかります。ところで、…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , |

注目キーワード

人気記事

1
長与千種がカミングアウト「恋愛禁止」を破ったクラッシュ・ギャルズ時代「夜のリング外試合」の相手
2
暴投王・藤浪晋太郎「もうメジャーも日本も難しい」窮地で「バウアーのようにメキシコへ行け」
3
日本と同じ「ずんぐり体型」アルプス山脈地帯に潜む「ヨーロッパ版ツチノコ」は猛毒を吐く
4
侍ジャパン「プレミア12」で際立った広島・坂倉将吾とロッテ・佐藤都志也「決定的な捕手力の差」
5
怒り爆発の高木豊「愚の骨頂!クライマックスなんかもうやめろ!」高田繁に猛反論