元号が昭和から平成へと改まった1989年。この年に開催された第61回春の選抜大会の決勝戦は東邦(愛知)対上宮(大阪)という大会前から評判の高い実力校同士の激突となった。
東邦は2年連続の選抜出場。しかも前年の大会でチームを準優勝に導いた山田喜久夫(元・中日など)と原浩高によるバッテリーを筆頭に、主力メンバーが健在。対する上宮も選抜は2年連続の舞台。前年はベスト8にまで進出し、当時の主力メンバーの元木大介(読売)や種田仁(元・中日など)、小野寺在二郎(元・千葉ロッテ)といった強打者が残っていた。つまり、この決勝戦は“投”の・東邦対“打”の上宮という構図でもあった。
決勝戦は大方の予想通り大接戦に。東邦のエース・山田を相手に、上宮は2年生ながらエースナンバーを背負う宮田正直(元・福岡ダイエー)が好投。4回を終わって0‐0という投手戦となった。
試合が動いたのは5回。表の攻撃で上宮が1死一、三塁からスクイズで1点を先制すると、その裏に東邦も2死二塁から中前適時打ですかさず同点に追いつく。試合はここからまた両投手が好投を見せ、0行進が続いていった。こうして1‐1の同点のまま、春選抜の決勝戦としては9年ぶり12回目の延長戦へと突入したのだった。
迎えた10回表。上宮は1死から2番・内藤秀之が右前打で出塁。2死後に4番・元木が左前打でつなぎ一、二塁とした。ここで打席に入った5番・岡田浩一が甘く入った山田の勝負球を強振。打球は横っ飛びした三塁手・村上恒仁のグラブを強襲する適時二塁打となり、上宮が待望の勝ち越し点を挙げ、1‐2とリードを許した東邦の最後の攻撃を迎えたのであった。
東邦の攻撃は下位打線から。先頭の8番・村上が死球で出塁すると9番の安井総一の打順で東邦ベンチは送りバントではなく勝負の「バスターエンドラン」を仕掛けた。が、初球を打った安井の打球は東邦にとって最悪の結果となる4‐6‐3の併殺打となってしまった。これで逆に上宮にとっては優勝まであと1死というところまで迫ったが、野球の神様はここからとんでもないドラマを描いた。
きっかけは、上宮のマウンドを守る2年生エース・宮田が涙ぐんでしまったことだ。大会を通じてほぼ1人で投げ抜いてきただけに優勝目前で一気に感極まってしまったのはやむを得ないところで、遊撃手で主将の元木も必死に宮田を励ます。ところがこの光景を見て、追い込まれていた東邦ナインの闘志に火がつく。1番・山中竜美が四球を選ぶと、続く2番・高木はフルカウントからの外角直球をうまく流し三遊間の深いところへの内野安打で3番・原につなげたのである。
一打同点の場面で、原は前の2打席で打たされて凡退していた直球で必ずストライクを取りに来ると分析。そして初球は直球だった。コースが内角で、詰まった当たりになったが弾き返した打球はセンター前へ。この打球を上宮のセンター・小野寺が処理して懸命のバックホーム。ノーバウンドで本塁まで帰ってきたが、二塁走者だった山中がホーム突入に成功。土壇場で東邦が同点に追いついた。次の瞬間、上宮の捕手・塩路厚は一塁走者だった高木が二塁を大きく飛び出していたところを見逃さず、三塁手・種田に送球。二、三塁間での挟殺プレーを狙った。ボールを受けた種田は迷わず二塁へと送球したが、わずかに逸れ、ライトの岩崎勝己がすかさずカバーのため前進。が、岩崎が捕球しようと腰を落とした瞬間、芝生の影響でボールがわずかに跳ね上がり、岩崎が後逸してしまった。歓声と悲鳴の中、白球が無人のライトフェンスまで転々とするのを見届け、二塁走者の高木が一気にサヨナラのホームへ。あまりにも劇的な東邦の優勝であった。
こうして平成最初の春の選抜王者に輝いた東邦。実はこの優勝で同じ愛知県内のライバルである中京大中京の持つ春の選抜最多優勝記録4回に並んだのであった。そしてそこから29年間、優勝から遠ざかったままである。
3月23日から開幕する第91回春の選抜に出場する東邦は優勝候補の一角として今大会に臨む。はたして平成最初と最後の王座に見事輝けるのか。同時にそれは春の選抜史上単独1位となる5度目の優勝をも意味するのである。
(高校野球評論家・上杉純也)