現在、アメリカメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースで活躍する前田健太。彼は大阪の強豪・PL学園のエースとして2度、甲子園に出場したことがある。
まずは2004年の1年生時の夏の甲子園。だが、この時は日大三(西東京)の前に5‐8で初戦敗退。その時の悔しさをバネに大きく成長して戻ってきたのが06年の第78回選抜だった。
前田の右腕は初戦の真岡工(栃木)戦からいきなり全開となった。毎回の16三振を奪い、被安打4で完投。9‐1でチームの大勝の原動力となったのだ。
続く2回戦も、前田の右腕が完全な主役となったのである。対戦相手はこの大会が春夏通して甲子園初出場となる愛知啓成。前田は愛知啓成のエース・水野との白熱した投手戦を繰り広げることとなる。それはまさに「プロ注目右腕」の真価が問われる試合となったのだ。
最初にチャンスをつかんだのは愛知啓成で、2回裏に無死二塁と絶好の先制機。だが、この場面でPLの前田は素早いフィールディングでバントを処理し、三塁で走者をタッチアウト。このピンチを脱したことで完全に波に乗った。対する愛知啓成の水野も打者の手元で曲がる変化球を駆使してPL打線に的を絞らせない。気づけばスコアボードには8回まで両軍0が続くのだった。均衡が破れたのは9回表だった。PLはこの回先頭の4番・前田が四球で出塁すると2死三塁のチャンスをつかむ。ここで打席に入ったのが前田の女房役の7番・仲谷龍二だった。仲谷は前田とは実家が近く親同士も2人が生まれる前からの知り合いという密接な関係だった。当然、学校は小・中・高と同じ。その仲谷が「健太を楽にさせてやりたかった。何でもいいから点を取りたかった」とバットを振り抜くと打球はセンター前にしぶとく落ちてこれが貴重な1点となったのだ。仲谷は守っても盗塁やけん制で相手走者を刺し、前田を盛り立てた。その裏の相手の攻撃を前田が3人で締めて1‐0のしびれる完封劇。結果的に両軍投手が演出した緊迫の投手戦は勝負どころで集中力を発揮したPL学園がわずかに愛知啓成を上回ったのだった。
結局、前田は初戦に続いて緩急をつけたピッチングが冴え、終わってみれば被安打5、9奪三振。試合時間わずか1時間28分と実にテンポよく試合を終わらせると、試合後には「今まででいちばん嬉しい完封」と声を弾ませた。その理由は「全員で守って抑えることができたから」という、実に前田らしい答えであった。
この後、PL学園は準々決勝で前田みずからが意表をつくホームスチールを決めるなど4‐1で秋田商に快勝。87年に春夏連覇して以来の全国制覇が期待されたが、準決勝で初出場の伏兵・清峰(長崎)の打線に前田がつかまり、まさかの6失点で敗退。続く夏は大阪府予選の準々決勝でまさかの不覚を取ってしまった。
つまり、この愛知啓成戦は、のちのメジャーリーガー・前田健太にとって、春夏の甲子園で唯一の完封試合なのである。
(高校野球評論家・上杉純也)