幕末から明治という激動の時代。病気で倒れた父・孝明天皇(第121代)に代わり、17歳で皇位についた明治天皇(第122代)は、大政奉還、王政復古の流れの中、新政府の国家元首へと位置付けられた。明治22年、大日本帝国憲法によって天皇は「神聖にして侵すべからず」存在として神格化。一方、日清・日露戦争を経験され、大きな心労を受けたことは想像に難くない。
「明治天皇は国難を打開しようと懸命に奔走する父・孝明天皇の後ろ姿を一番身近でご覧になっていて、共有していたはずです。ただ、それまでは宮中の奥深くにいた。しかし、天皇となり時代の先端に立つリーダーとして、それまでとはまったく違う役割を求められるようになった。そういう意味では、古代と現代を結ぶ明治という時代の中で、皇室の脱皮を果たした明治天皇は、名実ともに不世出のリーダーだったと考えられます」
そして、第123代の大正天皇の摂政に就任したのが124代の昭和天皇だった。太平洋戦争の敗戦という苦渋の時代を生きてきた昭和天皇は、昭和20年、ポツダム宣言を受諾する聖断を下すことになる。
「終戦した際、天皇の意思を国民に伝えるのであれば、終戦の詔書(しょうしょ)を出し、それを官報や新聞に載せれば済むこと。しかし、昭和天皇は玉音放送という形で、ラジオを通して国民に直接語りかけました。その背景には天皇ご自身が聖断だけでは戦争は止まらないと考えられたからではなかったのか。聖断が下っても、それはでっち上げで、周りの者が陛下のご意志を捻じ曲げている。だから我々は戦う! そんな余地が残ったら戦争が止まらない。そこで、陛下は自身のお声で『講和か戦争継続かで同胞が争って世界に信頼を失うようなことはするな』という趣旨のお言葉を述べられ、結果、それが日本を救ったのです」
昭和天皇は戦後直ちに全国の巡幸をスタート。長きにわたって各地を回り、昭和64年1月7日、86歳8カ月という天寿を全うされ、永眠につかれた。
「今上天皇は昨年12月23日の天皇誕生日に、『平成という時代が戦争を経験しないまま終わろうとしていることに安堵します』と仰られましたが、振り返ってみると明治、大正、昭和にはすべて戦争があった。そして、近代以降、初めて戦争がない元号の時代、それが平成だった。陛下のお言葉を聞き、改めて『平和』という言葉を噛み締めた方も多かったのではないでしょうか」
「令和」は果たしてどんな時代になるのか‥‥。
我々日本人にとって希望に満ち溢れる時代であることを望みたい。
※2019年5月1日に新天皇が即位されます。今上天皇は平成の天皇となられます。
高森明勅(たかもりあきのり)氏プロフィール:昭和32年、岡山県生まれ。國學院大學文学部卒。神道学・日本古代史専攻。日本文化総合研究所代表。著書に『この国の生い立ち』(PHP研究所)、『天皇から読みとく日本』(扶桑社)、『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)、『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書)ほか多数。