テリー しかし、常にみんながアッと驚くような新しいものを求められるというのは大変ですね。
船山 だから音の最新のトレンドを知るために海外アーティストの新作レコードを山ほど買いましたし、新しい技術が導入された機材が出てきたら、真っ先に買うんです。僕の手がけたものの中で、そういうタイプの代表格は、少年隊の「仮面舞踏会」ですね。あのわけのわからないイントロも、当時導入したばかりのフェアライトというシンセサイザーで作ったものです。
テリー わけはわからないけど、本当にインパクトが大きくてね。僕、少年隊ではあのデビュー曲がいちばん好きなんです。
船山 あの曲、できるまでがすごく大変だったんですよ。「ニューヨークで修行している3人の男の子を、なんとかグループの形にしなきゃいけない」と、ジャニーズ事務所もレコード会社も大騒ぎしていて‥‥たしか曲のタイトルも、レコードの発売が決定する直前まで決まらなかったんじゃないかな。
テリー ええっ、僕はてっきり、あのヨーロッパ的なタイトルのイメージから、あのイントロになったんだと思っていましたよ。
船山 先にタイトルがあったら、逆にああいうふうにはならなかったでしょうね。本編のメロディとまったく関係のないことをやっていますから(笑)。
テリー ああいう斬新なイントロやアレンジは、どんな時にひらめくんですか。
船山 それ、よく聞かれるんですけど‥‥今となっては、まったく覚えていないんですよ。特に70~80年代の頃の仕事って、常に瞬間芸だったものですから。
テリー 瞬間芸!? ちなみに、どういう感じだったんですか。
船山 当時シングルのレコーディングは必ず2曲、1日で録音していて、まずは前の晩に打ち合わせをします。で、レコーディング当日、午後から録音が始まるスケジュールなら、朝5時に起きて6時から9時で1曲書く。書き上がった譜面を清書する写譜屋さんに渡したら、そのまま9時から12時までに2曲目を書いて、また写譜屋さんに渡す。
テリー ええっ、1曲を3時間で編曲するんですか!
船山 そこからスタジオに行って、2曲分の録音に立ち会って、それが終わったら、また次の日の打ち合わせが‥‥という感じで。
テリー 次の日も6時から2曲書くんですか。
船山 そう、めちゃくちゃでしょう。
テリー 息つく暇がないじゃないですか。だって船山さんも人間だから体調が悪い、気分が乗らない、なんて時もありますよね。
船山 そりゃもう、毎日苦しいですよ。でも何十年も「苦しい、苦しい」と言い続けていたら、いつしかそれが日常になっていた、なんて感じです。
テリー なるほど、でもプロの仕事って、そういうことですよね。
船山 フィーリングが合う作曲家との仕事の場合はまだ楽なんですが、初めて組む方とか、制作スタッフのチャレンジ精神で組まされた方なんかだと、なかなかアイデアが出てこない時もありますね。
テリー ちなみに、船山さんがいちばんお仕事がやりやすい作曲家って誰ですか。
船山 筒美京平先生です。一緒に組んでたくさんお仕事をさせてもらっているんですが、曲を受け取ると先生が何を考えているか、僕が何を求められているのかが、すぐわかるんです。スキルだけでなく、感覚的な相性もあるんじゃないでしょうか。