まだ豊満な女優が少なかった70年代、三崎奈美(64)のFカップボディと愛らしいルックスは貴重だった。ところが、その女優生活は意外にも波乱続きで…。
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─ロマン映画主演デビュー作の公開が79年。あれから40年以上がたちましたが。
三崎 その前に東映の主演作があるんです。作家の飯干晃一さんが書いた実際の婦女暴行犯罪を原作にしており、私は暴行される被害者役。主演なのにセリフは「殺してやる!」のひと言だけ。
─その少なさは、逆にリアルですね。
三崎 最後にボロボロの浴衣を着て、胸をさらけ出しで商店街をうろつくシーンがあるんですが、もちろんゲリラ撮影。買い物のおばさんたちに「早く警察を呼んで!」と本気で心配されましたよ(笑)。
─それから「脱げる若手女優」ということで日活にスカウトされたわけですか。
三崎 それもありますが、もともと証券会社のOLからこの世界に入ったので、演技の基礎ができていなかったんです。共演した菅原文太さんには「こんな素人、誰が連れてきたんだ」と怒られました。日活に行くのは、一から勉強するいい機会だと思いました。
─実際に行ってみて、どうでした?
三崎 日活の撮影所は本当に雰囲気がよくて、東映の時のように「脱いでる女優」への厳しい仕打ちというのはなかったですね。
─自慢のバストが役に立ったのかも(笑)。
三崎 あの当時、きちんと測るとFカップはあったんです。でも、そのサイズのブラは日本には売っていなくて、Dカップに押し込むような形ですね。
─もったいない! それほどグラマラスな肢体を焼き付けた作品は数多いですが、印象深いのは?
三崎 81年の主演作「肉体保険 ベッドでサイン」ですね。ここでお風呂に何百匹ものどじょうが用意されたんですよ。スタッフの人に「どじょうは穴という穴に侵入するから注意したほうがいい」って言われて。
─どういう対策を?
三崎 いつもは1枚だけの前張りを、二重三重にしました。ただ、何もなかったのに翌日のスポーツ紙には「三崎奈美のアソコにどじょうが侵入!」って書かれてしまいました(笑)。
─のどかな話です。
三崎 ところが、のどかだけではない一件も起きたんですよ。私がオフの日に新宿を歩いていたら、前から来たプロレスラーみたいな大きな男の人に担がれまして。え、なんで、なんでと思っていたら「ファンです」とだけ言うんです。
─いや、抱え上げた状態でそんな…。
三崎 白昼堂々ですよ。ところが、その男がうまいのは「俺が悪かった」とか痴話ゲンカのように装うんです。私が「この人、知らないんです!」と叫んでも、周りは見て見ぬ振り。ようやく、ホテルの寸前で男の手を振りほどいて逃げました。
─ロマン映画で描かれる以上の迫真の場面があったんですね。
三崎 そんなこともありましたけど、日活の女優として過ごした日々は楽しかったです。引退後、シアトルに語学留学した時は、ハードコア作品の「華魁」(83年、富士映画)に出た親王塚貴子の部屋にルームシェアさせてもらいました。バブル景気の時には、宝塚から日活に転身した水原ゆう紀とともに、人材派遣会社を起業したこともありましたよ。今は夫とともに、整体サロンを開いています。
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Fカップもまだまだ健在であった。