大分市内の住宅地にある河野容疑者の家は4~5年前に新築されたもの。その家に、妻と子供2人の4人で引っ越してきて、その後、3人目の子供が生まれたという。
駐車場には河野容疑者の趣味だというスポーツタイプの車と軽自動車があり、その周りにはいくつものタイヤが散らばっていた。家族5人で幸せそうな生活を送っていたと近所の住民が証言する。
「河野さんはとてもいい人でしたよ。地元の消防団にも入っていて、地域のことは何でも嫌がらずに引き受けてくれていました。いい人が引っ越してきてくれたなあって思っていたんです」
休日には家族で庭造りをする姿も見られるなど、河野容疑者は地元での評判もよく、夫婦仲も非常に円満だったと近所の人は口をそろえる。
しかし、その裏では大分市と大分県西部で福岡県に隣接する中津市間の約80キロをほぼ毎週行き来し、本妻と植山さんとの間で「二重生活」を送っていたわけである。
前出・社会部記者が言う。
「実は、河野容疑者は頻繁に外出を繰り返していたにもかかわらず、妻は河野容疑者の二重生活ついてはまったく知らなかったようなんです。リハビリの専門家という仕事柄、治療法を教えるなどの名目で遠出することに、妻が何の不信感も抱かなかったのかもしれません。それにしても、妻との間の子供たちと植山さんとの子供たちとは、それほど年は離れていないわけですが、河野容疑者はどういうつもりで植山さんとの間に続けて子供をもうけていたんでしょうか‥‥」
もちろん、このような生活が破綻するのは時間の問題だった。7月17日、ついに事態は最悪の結末を迎えることになる。
この日、植山さんは自宅のアパートに河野容疑者を呼び出したのだ。
「植山さんとの子供はまだ幼い年子ですから、育児にはたいへん苦労していたようです。植山さんも河野容疑者に『育児を手伝ってほしい』『奥さんと離婚してほしい』とかなり強い調子で迫ったそうです。そこで口論になり、河野容疑者は電気コードで植山さんの首を絞め上げ、殺害したんです」(前出・社会部記者)
その後、河野容疑者は植山さんの遺体をスーツケースに詰め込み、2人の子供を植山さんの車に乗せ、児童福祉施設の敷地内に放置。施設のある中津市大貞から約10キロ近くの道のりを歩いて植山さんのアパートまで戻った。
そして、自分の車で植山さんの遺体を東隣の臼杵市との境に近い、大分市内の山中の林道脇に遺棄したのだ。