初めてカメラの前で服を脱いだ女優の覚悟。初ベッドシーンの舞台裏を、当事者たちのナマ声で明かす告白篇の第2幕を以下─。
「薄幸なヒロイン役だから、私の胸が控えめでよかったなと思います。だって、もし立派で大きな胸だと、元気な役柄に見えるじゃないですか。薄幸さが表現できる大きさでよかったです」
92年、映画評論家の秋本鉄次氏の前でそう語ったのは、正統派アイドルから本格的な女優転身を図らんとしていた南野陽子だ。秋本氏によれば、92年公開の「寒椿」(東映)と「私を抱いてそしてキスして」(東映)の両作品で初めて脱ぎ姿を披露した彼女に、公開直後にインタビューしたという。
「彼女は『女優の中には、見せられるカラダじゃないからと言い訳して、結局、脱がない人もいますよね』などと話し、初脱ぎへの度胸が感じられましたね」
そのかいあってか、同年に日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。みごと、アイドルを脱皮したのだ。
五社英雄監督の珠玉の名作「吉原炎上」(87年、東映)で、誰よりもインパクトを放った仁支川峰子は、なんとクランクイン8日前に出演が決まった。そのため、本人が「スタッフの中には、『監督は峰子ちゃんと怪しいんじゃないの?』と言っている人もいたわね」と、かつて本誌の取材で語っている。
「確かに、彼女が持つ美人女優にはない女性の業や悲しみを表現するリアリティが、五社監督との相性を深めたのでしょうね」(前出・秋本氏)
撮影当時29歳だった仁支川は、豊満なバストを放り出して激しいシーンを演じた。
「昔の女優はプロだから、OKした仕事は全て受け止め、監督が撮りたいものに沿うよう努力したものよ。現場でぐちぐち言う人がいるけど、私、そういうの嫌いなの」
そう話す仁支川の気っ風のよさが名場面を生んだのだ。
「てん・ぱい・ぽん・ちん体操」で男性に絶大な人気を誇った水島裕子は、86年に「部長の愛人ピンクのストッキング」で「日活ロマン映画」デビューを果たす。オファーの背景について、かつて取材に応じ、「五月みどりさんや畑中葉子さんらと同じ所属事務所だったから、声がかかったのかもしれない」と推測。当時、水島自身は「台本に書いてある『果てる』という意味がわからず、監督に聞いたら現場のみんなに笑われた」というほどウブだった。こんな無垢な状態で初ベッド場面に挑んだのである。
伊丹十三監督作「タンポポ」(85年、東宝)で日本映画史に残る艶っぽい女体盛りを魅せた黒田福美は、下積み時代に「春の波涛」(NHK)で俳優として共演した伊丹に魅了されたことを明かしている。ただ者ではないオーラに圧倒され、いかに感銘を受けたかを手紙につづり、楽屋で手渡したというのだ。すると彼はその日のうちに、こう言った。
「手紙読んだよ。今度、映画を撮るんだけど、出てくれるかい?」
後日、本当に「タンポポ」の台本が届いたという。
「当時29歳で、失うものは何もない状態」と振り返った黒田は、脱ぐことについても、「一度脱いでしまえばそれが制服と同じで、無感覚になっちゃうのよ」との語っていた。
前出・秋本氏が「試写会で見て、『すごい! ここまでヤルのか!』とぶったまげた」と大絶賛するのは、「愛の渦」(14年、クロックワークス)での門脇麦(27)だ。
「軽い気持ちでオーディションに参加し、合格が言い渡されてから『とにかくやるしかない』と意気込んだそう。本作は、ほぼ全編が脱ぎ姿という特異な世界観。最初は『恥ずかしい気持ちもあった』性的欲求の強い女性という役を『うまくつかめなかった』そうですが、いざ服を脱ぐと『気にならなかった。演じている間は、頭のネジが2、3本飛んでいるような感じ』と明かしていましたね」(芸能記者)
一度決めた女の度胸には、スゴミさえ漂っている。