堀江が強く「北斗の拳」の連載を望んだのは、もちろん原の才能にほれ込んでのことだ。そして、ヒットへの確信があったはずだ。
だが、堀江は冗談めかしてこう語る。
「とにかく江口先生の担当を外れたくてね(笑)」
この「江口先生」とは、本連載第1回に登場してもらった漫画家、江口寿史だ。
江口は遅筆ゆえに、担当する編集者の負担が大きく、持ち回りのように何度も担当が代えられた。その中で、最も長く担当していたのが堀江だった。
「締め切り前の金曜から日曜までは、付きっきりで原稿を待つ。当然、徹夜なんだけど、江口先生の後ろで原稿を待っていると、アシスタントが寄ってきて、僕のほうをのぞき込んで『先生、起きています!』って報告に行くの。たまに、僕が寝ていると『今だ!』って江口先生も寝ちゃう。だから、起きているってアピールするためにいつも足を揺らしていたんだけど、おかげで足を揺らしたまま寝られるようになったぐらい。でも、江口先生もさぁ、ペンを動かしている振りをしながら寝られるようになっちゃってね。1度、その状態でお互い寝ちゃって原稿を落としたこともあった」(堀江)
そんな状態なので、締め切り明けの2日間は仕事にならない。その後、編集部へ出て2日で通常業務をこなすと、また江口に張り付きとなる。20代半ばの若手とはいえ、かなりのハードワークである。
「当時、ジャンプでは自分で連載を立ち上げると、そのまま担当編集になる。でも、担当するのは2~3本が限界だから、連載を立ち上げれば、今までの担当作は別の人にバトンタッチすることになる。それで、とにかく急いでたくさん連載を立ち上げて、江口先生の担当を外れようとしていたんだよ(笑)」(堀江)
ジャンプファンを喜ばせるためのリップサービスなのだろう。ただし、この時期の堀江は「北斗の拳」だけでなく、複数の連載作品を担当していたのも事実である。北条司の「キャッツ・アイ」(81~84年連載)もその一つだ。江口の遅筆がなければ、我々を魅了した作品群は内容も別のものになっていた可能性もある。いや、連載が始まっていなかったかもしれない。
つい、そんなことを考えてしまう。