仕事終わりの居酒屋で、赤ら顔のサラリーマンがビール片手に壁を見やると、水着でほほえむ彼女がいた。92年、3代目キリンビールキャンペーンガールを務めた田中広子(49)=現在はヒロコ=が、当時を回想する。
──芸能界デビューがキャンギャル選出時ですか。
田中 その前の女子高生時代に「11PM」(日本テレビ系)のカバーガールをやっていて、セクシーなお姉さんたちの横で水着姿で踊っていました。それがバレて、学校を3日間停学になったこともあります。
──水着は慣れっこだったんですね。
田中 キリンのオーディションも水着でしたが、大変でした。気が滅入るほど何回も選考があり、最終的に残った2人のうち、キリンの広報さんが推してくださって私が選ばれたようです。
──何が決め手に?
田中 キャンギャルの仕事って、水着姿で笑っているだけじゃないんですよね。1年間毎週末、全国の居酒屋を回って、お客さんと一緒にお酒を飲むんです。だからお酒の強さが重要で、「私、強いです!」とアピールしたのが効いたのかも。
──毎週末とは激務ですね。
田中 他の仕事もあったので、365日休みなく。撮影でカリブ海から帰国した翌日に、真冬の北海道に行ったこともあります。その時は倒れそうになり、病院で真っ黄色の液体を点滴してもらったあと、居酒屋で「ハイ、かんぱーい!」。今思うと相当ハードですね。
──店のお客は、こんな美女と触れ合えるなんてラッキーですよね。
田中 居酒屋ではお客様との距離が近いので、「今この人、お尻触ってきた!」というのはありました。そういう人たちには、そのあと何年も「あの男たちめ、絶対忘れないからな!」って、敵対心を持っていました(笑)。
──一方でいい思い出は?
田中 社会人としての基本的なマナーを学べたことですね。会社の顔なので、最初に徹底的に教育されるんです。名刺の渡し方、しゃべり方など。あと、地方に行く際はホテルの部屋に1人で寝なきゃいけなくて、最初は「幽霊が出たらどうしよう‥‥」と怖くて眠れませんでしたが、徐々に慣れてどんなホテルでも1人で眠れるようになりました。
──1年後輩はシェイプUPガールズ・中島史恵ですが、交流は?
田中 私の時は、後輩への引き継ぎも仕事の一つでした。だから史恵ちゃんとは一緒に居酒屋に行き、一緒にカラオケを歌ったり、お客様を接待したりして。そこが、後輩が先輩の技を盗む場だったようです。
──当時のキャンギャルといえば、切れ込みの激しいハイレグ水着がトレードマークでした。
田中 あのハイレグ水着、実は卒業時にもらえるんです。だから、その後もけっこう着ていました。チューブトップなので、旅番組で温泉につかる時にバスタオル下に着るのに最適で(笑)。
──バスタオルの下がキャンギャルのハイレグ水着だったとは。
田中 意外と丈夫で、その後10年以上使える優れモノでしたね。
──卒業後、矢沢永吉主演の「アリよさらば」(94年、TBS系)にも出演。
田中 スタッフさんたちの緊張感がすごかったですね。私自身は「スターもカレー食べるんだ」なんて思って矢沢さんを遠くから眺めていました。
──一度は芸能活動をセーブしたものの、今は完全復帰のようですね。
田中 40歳で復帰しましたから、無謀ですよね。11年からFM西東京でラジオパーソナリティを担当しているのと、女優業がメインです。家でセリフの練習をすると、子供に「気持ち悪い!」と毒づかれますが、楽しい生活です。