数ある業種にあって、ジョッキを片手にしたビールのイメージキャラクターこそ男たちの味方。92年の田中広子(44)もまた、真夏のジョッキ娘として鮮烈な印象を残した。
「当時のキャンペーンガールのオーディションは、ドラマとは比べ物にならないほど審査の繰り返しでした。最終面接まで10回はあったと思います」
田中がキリンビールのキャンペーンガールを射止めた92年、バブル経済は崩壊したとはいえ、まだまだ狭き門だった。特に生ビール市場でナンバーワンのシェアを誇っていたキリンの広告塔ともなると、新入社員と同様の教育をされた。
「週に1回はイベントがあって、全国の酒販店や居酒屋などを代理店の方と一緒に回りました。顔写真付きの名刺を交換したり、ビールのつぎ方も教わって、社会勉強をさせてもらいましたね」
あのジョッキ片手のポーズも、持ち上げる角度などに細かい注文がついたそうだ。また、居酒屋キャンペーンは1晩に何軒もハシゴする慌ただしさである。酔っているグループ客を前に笑顔で対応するが、そこは酒場ゆえに──。
「『あれ? おしりをなでられたような気がしたな』という錯覚は何度かありましたよ(笑)」
そこで笑顔を絶やすことなく、団体客に乾杯を促すのもキャンペーンガールの手腕。もともと18歳にして伝説の深夜番組「11PM」(日本テレビ系)のカバーガールもやっていただけに、経験値として大人の対応は習得していたようだ。
やがて同世代のキャンペーンガールがそうであったように、田中も女優として新天地を開拓。多くのドラマに起用されたが、あの矢沢永吉の初主演ドラマ「アリよさらば」(94年、TBS系)にも出演した。
「矢沢さんと同僚の音楽教師役でした。矢沢さん扮する安部先生は、何か悩みがあると音楽教師の私に相談する。そしてピアノを弾き語るというエンディング。そういう点ではオイしい役だったかもしれません」
矢沢自身は気さくに接してくれたそうだが、スーパースターの主演ドラマゆえに、撮影現場の緊張感は尋常ではなかったという。
その後、田中は00年に会社員の男性と結婚。04年には長女も生まれて芸能活動をセーブしたが、11年に離婚する。
約10年のブランクから復帰を考えた田中が相談したのは、キリンビールのキャンペーンガール時代にお世話になった代理店の担当者だった。
「私が『離婚したので復帰したいんです』と言ったら、体育会系の方なので『そんな甘くはないんだぞ』と言われました」
厳しい物言いではあったが、バックアップはしてくれた。一時は普通の会社で事務員として働いたこともあったが、芸能界に戻ったのは何が理由なのか?
「私が復帰しても、誰が待ってくれてるんだろうという思いもありましたよ。ただ、18歳から芸能界で仕事をしていたので、まだやり残したことがあると思ったんです」
復帰後はドラマを中心に、子育てと並行して女優業に本腰を入れている。均斉の取れたプロポーションはそのままに、熟女としての色艶も十分に加わってきたようだ。