●ゲスト:矢野浩二(やの・こうじ) 1970年、大阪府生まれ。高校を卒業後に上京、森田健作の付き人を約8年務める。2000年、中国の恋愛ドラマ「永遠の恋人」の5人の主役級俳優の一人に抜擢されたのを機に、以後も「記憶の証明」「大刀」などに出演、中国の連続ドラマの常連に。06年からは「快楽大本営」など中国のバラエティー番組にも進出。13年、「ニューヨーク・タイムズ」と「CNN」ニュース特集で「中国で最も有名な日本人俳優」としてインタビューを受けた。16年から活動拠点を日本に移し、ドラマ「相棒」「ドクターX」(ともにテレビ朝日系)などにも出演。16年より続くシリーズドラマ「警視庁・捜査一課長」(テレビ朝日系)では鑑識課主任・武藤広樹役を演じている。出演したオムニバスドラマ「銀座黒猫物語」(カンテレ系)の第8話が、9月3日深夜に放送予定。TOKYO MXでは9月15日放送予定。
「中国で最も有名な日本人俳優」として米「CNN」や「ニューヨーク・タイムズ」紙も注目する矢野浩二。しかし、最初に飛び込んだのは中国ではなく、青春スター森田健作のもとだった。そこで待っていた思いがけない仕事とは? 紆余曲折の人生を天才テリーに語り尽くした!
テリー 矢野さんはCNNに「中国で最も有名な日本人俳優」として取材を受けたことがあるんですね。
矢野 そうですね、本当に一番かはわからないですけど(笑)。いろいろ取材は受けさせていただきました。
テリー 生まれは大阪ですが、役者に憧れて上京したんですか。
矢野 いや、憧れはなかったですけど、高校卒業後に東大阪市のスナックで働いてたら、常連のお客さんに「こうちゃんみたいな若い人は、東京でも行って役者になったらどうや」と言われて。めちゃくちゃ不純な動機で出てきました。
テリー そうなんだ。
矢野 それで上京して、アルバイトをしながら養成所に通ってたんですけども、鳴かず飛ばずだったので、どなたかの付き人をやろうと思って。それで、たまたま「森田健作の熱血テレビ」(91年4月~9月、テレビ朝日系)というワイドショーを見て「あ、この人に付こう」と。それから8年間、森田健作の付き人をやってました。
テリー MCの森田さんを見てって、珍しいですよね。青春ドラマを見てとかならわかりますけど。
矢野 たぶん僕ぐらいでしょうね。年代も違いますし。リアルタイムではないですが、青春ドラマは見てましたけどね。
テリー あ、そう。「おれは男だ!」(71年~72年、日本テレビ系)とか? 青葉高校・剣道部の小林弘二ね。
矢野 そうですね。僕、10回ぐらい芸名を変えてるんですけど、一時期、同じ「矢野弘二」でやってました。
テリー 僕、実は今、森田健作と超仲いいんですけど、確かその頃だと、すぐ国会議員になりますよね。
矢野 そうなんですよ。初めて当選されたのが92年の参議院選で。僕が付き人になって、1年後です。
テリー じゃあ、付き人というか、議員秘書みたいな?
矢野 秘書兼運転手ですね。秘書の通行証みたいなものをもらって、議員会館はフリーパスでしたから。
テリー その時、やめようとは? だって役者になりたかったわけで、永田町は関係ないでしょう。
矢野 最初はTシャツにジーパンだったのに、いつの間にかスーツにネクタイで運転していて、「俺、こんなはずじゃなかったのに」とは思ってましたね。ただ、森田さんに付こうと決めたのは自分だし、職種が変わっても、やっぱりこれは続けるべきかなと、自分を納得させてました。
テリー でも、議員の付き人をやっても役者にはなれないでしょ。
矢野 まぁ、休みの日も森田さんの部屋の掃除とか、お子さんのお守りとかしてましたから。真夏に森田さんの家の雑草抜きを、森田さんと2人で黙々とやったり。「俺はなんで雑草抜いてるんや!」って(笑)。
テリー 思うよね。それは森田さんに言ったの?
矢野 いえ、とにかく森田さんの前では、与えられた仕事をきちんとやろうと。もう、20代に青春はなかったです。
テリー そうか。森田さんはずっと青春なのに(笑)。
矢野 そうなんですよね。でも、尽くした僕に青春はなかったです。