選手時代の功績よりも監督になってからの功績が偉大な監督の代表格と言えば、故・星野仙一氏が挙がるかもしれない。
選手時代、意外にも最多勝利、最高防御率のタイトルは無く、プロ通算14年間で146勝と名球会入りを逃している。しかし、監督としては中日、阪神、楽天と3球団でいずれもリーグ優勝を成し遂げており、楽天では日本一にも輝いている。
中でも特に印象深いのは阪神での功績である。名将で知られる、故・野村克也氏と比較すると、野村氏は南海で1度のリーグ優勝、ヤクルトでは3度も日本一に導いているが、阪神では1999年、2000年、01年と3年連続最下位だった。
それを受けた形の星野氏、02年は4位に甘んじたが、ついに03年は阪神をリーグ優勝に押し上げているのである。この“差”の裏にあるのは、星野氏の「行動力」ではないかと評する番組があった。
楽天の初代監督として指揮をとった元プロ野球選手の田尾安志氏のYouTubeチャンネル〈田尾安志【TAO CHANNEL】公式YouTube〉、9月21日投稿の〈【故・星野仙一さんを語る】行く先々でチームを優勝に導いたその秘密とは?〉を、見てみると、同じく出演した元プロ野球選手の岡義明氏いわく、阪神がリーグ優勝した03年、金本知憲選手を広島から、伊良部秀輝選手をメジャーから獲得、投打の要を手に入れているが、伊良部選手に至っては星野氏が直接アメリカに渡って交渉していたことも明かされており、行動力の人であったようだ。
野村氏も再生工場と評されてはいたが、そこに注力する比重が大きいぶん、人材をみずから取りに行くといった姿勢は少なかったかもしれない。
ただし、星野氏は阪神での監督1年目終了時、24人の選手をクビにして、そのぶん、補強に当てていたことも田尾氏から明かされている。好き、嫌いの判断はお任せするとして、星野監督の勝利への執念は凄まじいものだったに違いない。
(ユーチューブライター・所ひで)