名将で知られる、故・野村克也監督。ヤクルトスワローズではリーグ優勝4回、日本一にも3回輝く目覚ましい活躍を見せているが、そんな野村監督にも氷河期を迎える時期があった。1999年から3年連続の最下位で、01年にユニフォームを脱ぐことになった阪神タイガースの監督時代である。
そんなタイガースに94年から11年間籍を置いた元プロ野球選手の藪恵壹氏が、当時の野村監督の無慈悲な指令について明かす番組があった。
元プロ野球選手で、東北楽天ゴールデンイーグルスでは初代監督も務めた田尾安志氏のYouTubeチャンネル〈田尾安志【TAO CHANNEL】公式YouTube〉、10月22日投稿回でのことだが、当時のタイガースは貧打に泣いていたという。野村氏が監督を務めたシーズンを通してのチーム打率は、99年「259」、2000年「244」、01年「243」であり、野村監督がヤクルト時代、3度の日本一に輝いた年と比較すると、93年「263」、95年「261」、97年「276」と、いずれも「260」以上をマークしていた。
そのことから藪氏は「野村さんの時にキツかったのは、点が取れないんだから、0点に抑えろ」と、知将で知られる野村監督からまさかの“無慈悲な”指令を出されていた過去を明かし、シーズン通して、防御率「0.00」に抑えるピッチャーなど1人もいないことから、「あの時はキツかった」と、藪氏はなおも口にしたのだった。
野村監督退任後、02年に故・星野仙一氏が監督就任、翌03年にはリーグ優勝に導いている。野村監督、星野監督の差はいったい何だったのか…?このあたりについて、今後、機会があれば両監督を知る藪氏の口からぜひ語って頂きたいところだ。
(ユーチューブライター・所ひで)