自身の40周年のアニバーサリーイヤーがコロナ禍によって逆境に変わっても、永遠のアイドル・松田聖子には、大きなダメージではなく、来たる大爆発までの“タメ”の期間でしかなさそうだ。だが、そんな聖子にも唯一、弱点がある。娘の神田沙也加のことである。
02年5月にデビューした沙也加だったが、1stシングル「ever since」は周囲の期待に応えることはできず、その原因は、聖子の現場介入だったと言われている。
「聖子は『沙也加のデビュー曲は自分との親子デュエットで』と主張していて、これが沙也加デビューの最大の障害になっていたといいます。レコード会社は当然、沙也加を一人の独立した歌手として育てたいと思っていて、当初はアルバムでのデビューが計画されていました。しかし、聖子の介入でこれが進まなくなってしまった。当時の聖子自身、2度目の結婚をした歯科医師とわずか2年で離婚した直後であり、世間のイメージ的には難しい立場にあった。周囲には、そんな聖子が沙也加を自分の印象回復のダシにしようとしているように見えたこともあって、聖子のステージママぶりに拒絶反応を示し、舞台裏は混乱を極めていたんです。足並みがそろわず時間ばかりが過ぎていく中で、世間の沙也加への関心も失われていったのでしょう」(芸能プロダクション関係者)
デビュー曲の作曲を、当時、人気のあったthe brilliant greenの奥田俊作氏に担当させるなど、ギリギリになって話題を作ってみたが、一度白けたものに火をつけるほど難しいことはない。
「母・聖子に振り回されデビューは失敗に終わり、その酷評の辛さと“聖子の娘”の重圧は増すばかり。過保護で育ち、甘えん坊のママっ子であった沙也加が、聖子のコントロール下から逃れたくなっていったのも無理はありません」(芸能記者)
そしてデビューから2年後、決定的な亀裂が生じてしまったという。
「関係が決裂したのは、沙也加と元day after tomorrowのギタリスト、北野正人の交際だったことは間違いないでしょう。北野は、SAYAKAの3枚目シングル『水色』と、4枚目の『上弦の月』で楽曲を提供。レコーディングなどともに時間を過ごすうちに交際に発展したようですが、当時、まだ18歳になったばかりの沙也加の交際に聖子は大反対。北野が12歳も年上で、しかもバツイチであったことにNGを出したと言われました。大喧嘩の末に、沙也加は家を飛び出して一人暮らしを始めたんです」(前出・芸能記者)
沙也加が激怒するのも当然であった。彼女は誰よりも自由に恋愛を楽しみ、同時に歌手としての人生を謳歌してきた聖子を間近で見てきたためだ。
「かつて、聖子が海外進出を目指そうと、夫の神田正輝と離れて暮らすようになり、沙也加もロスで暮らしたこともありました。しかし結局、聖子の海外進出は大きな結果を残すことはできず、世間に強く印象付けられたのは外国人とのスキャンダル。そうした母親の姿を、沙也加はつぶさに見てきましたからね」(前出・芸能記者)
(露口正義)