現役時代を含めて、プロ野球最長の50年連続ユニフォームを着続け、数々の一流選手を育てた内田順三氏(73)。指導者として、巨人の歴代4番打者を始め、通算27年に及ぶ広島でのコーチぶりは、生え抜き選手を中心としたチーム編成に大きく貢献。球界屈指の人気球団に育て上げた。そんな内田氏の指導術を惜しげもなく、秘話を交えて紹介しているのが新刊「打てる、伸びる!逆転の育成法」(廣済堂出版)だ。
中でも、目玉となっているのが、現在更生に向けて再スタートした清原和博(53)との対談だ。96年オフに西武から移籍してきた清原は当時、「番長」とも称される球界のトップスター。しかし、成績は振るわず97年、98年とチームが優勝を逃した「戦犯」としてバッシングされていた。チームからも孤立していた清原に手を差し伸べたのは、二軍打撃コーチから一軍の打撃コーチに復帰したばかりの他ならぬ内田氏だった。ご本人がこう振り返る。
「本格的に一軍の選手に関わるようになったのは、99年の宮崎春季キャンプからでした。キヨは宿舎の青島グランドホテルの宴会場の隅で一人、黙々と1時間ほどバットを振っていました。共同の自主トレ場所だったので、他のチームメイトはキヨに気を遣って時間をズラして素振りをしていたようです。そんな周囲の気遣いをキヨ自身は露知らず。『なんで、ジャイアンツの選手は素振りをしないんだ』なんて思っていたみたいですけどね(笑)。キヨについては、事前に古巣である西武の関係者から情報収集していたんです。そこで、『欠点のオーバーティーチング』と『人前でパフォーマンスのように指導』の2点を嫌っていると聞いていたので、毎日離れた場所からコーヒーを片手にキヨのスイングを観察していました。終わったあとに『キヨ、ご苦労さん』と声がけしても無視。私がどんなコーチなのかを探っていたのでしょう。これは憶測ですが、仲の良かった金本知憲(52)に、私の広島時代の情報を聞いていたんじゃないかな」
一言も言葉を交わすことなく観察した日々が8日間続いた。すると、9日目に清原の方から「僕のスイングどうですか?」と、尋ねてきたという。
「心の中で『しめた!』と思いましたね。まず、キヨの取り組んでいたバッティングの際のバットの始動位置や軌道、ヒザの使い方を全肯定しました。間違ってないと。この日を境にキヨに助言を求められる機会が増えました」(内田氏)
球界の名伯楽として知られる内田氏。現在はプロから社会人野球へと活躍の場を変えながらも、人望は球界随一と言われる。4月6日発売の「週刊アサヒ芸能」4月15日号では、現在も続く清原との関係性や「更生の舞台裏」、指導してきたスター選手たちとの秘話を内田氏のインタビューで詳報している。