「オレが子供の頃から憧れて、ずっと長嶋茂雄の3番を追っかけて、一緒に野球ができたなんて夢じゃない?夢を本当に実現したっていう時間帯じゃない?」
トークの相手に共感を求めるように、こう感慨深く現役時代を振り返ったのは、巨人で活躍した元プロ野球選手、中畑清氏。トークの相手は、同じく元プロ野球選手の高木豊氏。高木氏のYouTubeチャンネル〈高木豊Takagi Yutaka〉に出演した際の発言だ。長嶋茂雄に憧れ、長嶋茂雄になりたかったとも語る中畑氏は、1975年のドラフト会議3位で巨人に入団。ところが、てっきり意中の球団に引き当られたものかと思いきや、意外にも他球団に思いを寄せていたことがわかった。
5月22日付けの〈【最終話】絶好調誕生の裏側と中畑清にとっての巨人軍の存在について語ります。〉と題して公開された投稿回で、「例えば巨人じゃなかったらどうしました?長嶋さんに憧れて、巨人に絶対入りたかったわけでしょ?」と問うた高木氏。これに中畑氏は「全然、全然!」と首を横に振り「ジャイアンツに入って仕事になるわけないじゃん。試合に出なかったら勝負にならないんだから…オレヤクルトに行きたかったんだよ。ヤクルトのサードが薄かったから」と今だから言える本音を吐露したのだ。
確かに中畑氏の入団当時は、王貞治氏、張本勲氏、土井正三氏、高田繁氏といった巨人のV9時代を支えた選手が現役で活躍しており、なかなか出場の機会に恵まれにくい環境だったといえよう。スター選手が顔を並べる中で、「劇団の中に入ったような感じだったもん、ジャイアンツに入団した瞬間は、みんな漫画の世界の人たちだなと思ってさ…」とも中畑氏は振り返ったのだった。
思い起こせば、80年代のヤクルトは低迷していて、最下位に終わるシーズンも多かった。そんなヤクルトを救うべく、4番で活躍する中畑氏も見てみたかったかも?
(ユーチューブライター・所ひで)