82年から14年まで、平日昼間を揺らし続けた生放送の金字塔「森田一義アワー笑っていいとも!」(フジテレビ系)。素人も芸能人も、そして司会のタモリも…歴史に残る“アクシデント”をプレイバック!
「年内に終わるんですか?」
いいともアクシデント史の代名詞といえば、観覧の男から突如投げかけられたこの台詞だろう。05年9月21日、テレフォンショッキングに出ていた山崎邦正が呆然とする横で、タモリは「聞いてないですけどね」と冷静に応答。
すぐにCMに入り、CMが明けると男がいなくなった席にはクマのぬいぐるみが。この場面がアップで映されたことは、いいともスタッフのアクシデントを遊び心に変えた機転と言えよう。
「いいともはアブない素人の宝庫。83年12月にはテレフォンショッキングのゲストの代わりに、不審な男がタモリの横に着席。タモリは『君どうしたの?』とクールに対応し、客席からは悲鳴が上がりました。FAXコーナーには初回からマッパの男性の写真が届き、客席にいた右翼の男から、舞台めがけて火のついていない発煙筒を投げつけられたこともありましたね」(スポーツ紙放送記者)
芸能人も大暴れした。01年7月30日、レギュラーの橋田壽賀子(享年95)がゲストの江頭2:50に「トルコで捕まった人でしょ」と、ロケ先の路上でマッパのパフォーマンス中に“下腹部を見せた罪”で罰金刑を科せられたことに言及。たびたび芸を遮ると逆に江頭が迫ってきた。
「俺はおまえが前から好きだった!」
橋田の唇を強引に奪う江頭。絶叫する観客。隣で大パニックの柴田理恵。江頭はのちに、コーナーを進行するために「口を口で封じた」と意図を語ったが、この日を境に「いいとも出禁13年間の刑」が下されたのだ。一方で、タモリすら肝を冷やしたのが、ビートたけし乱入事件だ。
「83年2月、以前から犬猿の仲だったレギュラーの田中康夫のコーナー時、予告なく乱入して『この野郎!』と田中の首を絞め、投げ飛ばしたんです。吹っ飛ぶ田中に観客は悲鳴の嵐。タモリも引き気味でした」(放送作家)
グランドフィナーレの14年3月31日、約30年の時を経て、爆笑問題の太田光が田中の首を絞め、たけしへのオマージュとして昇華したことは記憶に新しい。
芸能人のナチュラルな感情があふれるのも、生放送ならでは。安田成美が突然号泣し、スタジオが騒然となったこともあった。
「タモリが冷静に彼女の話を聞くと、スタジオの新宿アルタに入る時のこと。ぎゅうぎゅうの野次馬の中を通り抜けた際、触られる被害に遭ったと言うのです。ついさっきの出来事で、こみ上げる恐怖心をこらえきれなかったんですね」(放送記者)
日替わりで芸能人が出演するテレフォンショッキングのアクシデントは、枚挙にいとまがない。黒柳徹子が43分間喋り続け番組ジャックしたほか、有吉佐和子(享年53)は42分間、のちにとんねるずが48分間で記録を塗り替えた。対照的に志村けん(享年70)に至っては、桑野信義の紹介に「明日はゴルフなんですよ」「天気いいもんで…」と前代未聞の出演拒否を貫いた。
83年9月13日、ミミ萩原が新幹線内にいた宮尾すすむへ電話するために、タモリが列車着信通話に電話した回では、昭和ならではのアクシデントが。
「電話口のオペレーターが、タモリが音声を消して伝えていたスタジオの直通番号を復唱し、全国放送に乗ってしまった。するとすぐにいたずら電話が連発。タモリはそのたびに出ると、『やめなさい!』『番組に協力したらどうだ!』と“キレ芸”で混乱をフォローしていました」(放送記者)
携帯電話が主流となった今では考えられない事件だ。
目の前でどんなアクシデントが起きようとも、冷静に笑いに変え続けたタモリ。「SWITCH」(09年7月号)のインタビューでは「僕は予定調和が崩れて残骸が散らばった時に、また違うものになるのかどうかを目撃したいし、それが面白いんです」と真意を明かしているが、アクシデントの張本人たる瞬間もあった。
「低迷期として語られている92年2月28日、タモリはふらつくなど明らかな二日酔い状態で出演しました。あげく、一般の幼児に『俺は子供が嫌いなんだ!』と暴走し、明石家さんまが『あかんで』と説教したほどでした(笑)」(構成作家)
いいともには、愛すべきテレビの醍醐味が、すべて集約されていたのだ。