元プロボクサーの畑山隆則氏といえば、1998年9月5日に開催されたWBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチに「2‐0」の判定で勝利してチャンピオンに。敗戦を経て1度は現役引退を表明するも、リングにカムバックした初戦、2000年6月11日のWBA世界ライト級タイトルマッチに8ラウンドTKOで勝利。スーパーフェザーとライト級の2階級制覇を成し遂げたレジェンドである。
その畑山氏は、チャンピオン当時は「横浜光ボクシングジム」所属だったのだが、実は故郷の青森県からの上京直後は、柴田国明氏、ガッツ石松氏、大橋秀行氏といった世界チャンピオンを輩出した名門の「ヨネクラボクシングジム」の門を叩いている。どのような経緯から移籍となったのだろうか?
その経緯について、フリーアナ・古舘伊知郎のYouTubeチャンネル〈古舘伊知郎チャンネル〉の、1月21日付け投稿回に畑山氏が出演し、ボクシングへの思いの丈とともに、こう明かしている…。まず、古舘が、
「ヨネクラジムって(練習生が)何百人もいるんだろうけど、畑山隆則が見出されなかったんですね。不思議な展開…埋もれたんだ」と話すと、畑山氏は、「ダメな人が100年やろうがダメなものはダメだ」と、スポーツは素質が肝要との持論を語った。
そんな畑山氏に、しかし、数か月経ってもトレーナーから声が掛からなかったという。スパーリングもさせてもらえなかったのだそうだ。自身の素質に自信満々だった畑山氏は、ジムに見る目がないのだと移籍を決意。その先で出会ったのが、畑山の素質を早々に見抜いた柳和龍トレーナーであり、「導かれていくように出会った」と畑山氏が口にするように、その後、二人三脚のボクシング人生を歩むことになったのだった。
「ヨネクラジム」ほどの大手だからこそ、大所帯ゆえに逆に1人の逸材を見逃す…といった可能性があるのかもしれない。それよりも、柳トレーナーとの運命の出会いを果たした畑山氏の決断力と行動力を称賛したい。
(ユーチューブライター・所ひで)