2004年から11年までの在任中に中日ドラゴンズを4度のリーグ優勝に、中でも07年には日本一にも導いた落合博満監督。「オレ流」とも称される采配で、冷徹にして非情、飄々としたイメージが強いのだが、実は温情派で、涙もろかったといった意外なエピソードを明かしたのは元プロ野球選手の川崎憲次郎氏。
主にヤクルトスワローズで活躍し、01年に中日に移籍した川崎氏だが、主に西武ライオンズで活躍した石毛宏典氏のYouTubeチャンネル〈石毛宏典TV〉の、2月26日付け投稿回に出演して語ったものだ。
動画によると、中日に移籍早々、故障から1軍登録の機会がなかった川崎氏が、1軍のマウンドに上がったのは、落合監督の指示で04年4月2日の開幕戦であった。川崎氏は、ケガは治りきっておらず、数年ぶりのブランクから極度に緊張していたようで、結果に結びつかなかったと振り返った。
2度目の登板も結果が伴わず、ファームで調整していたところ、その年の中日のリーグ優勝が決まる。そして、いわば消化試合だったこともあり、落合監督から10月2日に戦力外の通告を受けるとともに、翌3日の登板…現役最後のマウンドの機会を与えてもらったのだとか。その時の落合監督の思いやりを川崎氏はこう回顧した。
「『オレがチケット全部用意してやるから、お前好きなだけ人を呼べ』って(落合監督から)言われたんです」
試合後、家族と写真を撮ってもらった時には、
「変な声聞こえるんですけど、何かなと思ってパッと横見たら、落合さんが一番最初に泣いてくれてたんですよ。熱いんです、涙もろいというか…」(川崎氏)
今の時代にYouTubeが無ければ、決して明かされることがなかったかもしれない落合監督の温情と涙もろさに、胸が熱くなる秘話である。
(ユーチューブライター・所ひで)