テリー アグネスはアイドルとして人気絶頂だった時にカナダに留学したでしょう。あれは、どういう思いだったの?
アグネス あの時は、もともと芸能界に入るのに反対してた父が日本に来て、私のコンサートツアーを見て、すごい怒ったんですよ。
テリー なんで?
アグネス 当時のアイドルのコンサートツアーは1日3回公演なんですよ。11時、14時半、18時半とかって3回公演で、それが終わると寝台車に乗って、次の場所に行って、そしてまた3回公演を繰り返して。そんなの寝る暇もない、学校に行く時間もない、友達も作れない、満足に食事もできない、普通の女の子の生活じゃないって。それで、君のことを誰も知らないところへ行って、ちゃんと大学を卒業しなさいって言われたんです。
テリー 立派なお父さんだけど、せっかく掴んだスターの座を捨てることになるよね。
アグネス だから、現実的な母は「これからが稼ぎ時じゃないか」って、すごい反対してました。でも、父に「お金や名声は流れもので、奪われるものだけど、一度頭に入った知識は一生の宝だから、勉強できる時はありがたく勉強しなさい」って言われて。「あ、なんて素敵な言葉だろう」って思い、その言葉を信じて行きました。
テリー でも当時、大ニュースになったよね。
アグネス まず香港で記者会見をやったら、向こうのマスコミがものすごいビックリして。それで次の日になったら(所属していた)渡辺プロダクションとワーナー・パイオニアの人たちがうちの応接間にワーッと座っていて、それにもビックリしたんです。
テリー あ、事務所は知らなかったんだ。
アグネス 知らなかったんです。だから、その時にすごく大変なことやっちゃったんだと思って。それで父に「僕が何とかするからヨーロッパ旅行に行きなさい」って言われて、姉と2人で行ったんですよ。
テリー え、逃げたの?
アグネス 逃げたんです。何のプランニングもなく行っちゃったから、結局、安いツアーで全ヨーロッパをバスで回ることになって。途中イタリアへ行ったら、渡辺プロの人が追っかけてきました。
テリー わぁ。
アグネス よく考えたら、あの時21歳になったばっかりぐらいですよね。姉だって二十いくつですよ。
テリー アグネスとしては大学を卒業したら、芸能界に戻ろうと思ってたの?
アグネス 私は戻るつもりはなかったんです。
テリー あ、そうなんだ。
アグネス でも、カナダへ留学した次の年に父が亡くなったんですね。それで母が「結婚するまでは、もう一度、芸能活動をしてもいいんじゃないか」って言うんです。父が亡くなる前、「お母さんの言うことは何でも聞くんだよ」って言っていたので「その約束を果たさなきゃ」って。親孝行だと思って、カムバックしましたね。
テリー そうなんだ。
アグネス でも、そういう形で将来を選んじゃダメですね。ほんとにもう1回歌いたいっていう気持ちじゃないから、とても精神的に辛い時期があったんです。何年かして、また頑張ろうって思えたんですけど。だから、これは若い子にも言いたいんですけど、自分の道は自分が納得して選ばなきゃダメですよね。