1971年6月1日、南沙織が「17才」でデビューしたことをきっかけに、日本でも「スター」ではなく「アイドル」の呼び名が定着した。
「日常習慣はけっこう早く慣れまして、例えば家に入る時に靴を脱ぐとか、挨拶は握手ではなくて、お辞儀をするとか。だけど、食べ物と言葉には苦労しました。香港では食べ物は温かいものが多く、ナマ物が苦手なのでお寿司や刺身は食べられませんでした」
こう語るのは、来年で日本デビュー50周年を迎えるアグネス・チャンだ。今は日本と香港を行き来しながら、芸能活動と並行して教育活動にも熱心である。
お姫様カットが魅力的だった麻丘めぐみは、72年に筒美京平作曲の「芽ばえ」でデビューした。翌73年に発売した「わたしの彼は左きき」は、チャート1位に輝く大ヒット。
「全国の左ききの方々に感謝されました。ヒット記念パーティーでは、巨人軍の王貞治選手(当時)に駆けつけていただいて、『おめでとう』と言っていただいてびっくりしました。縁もゆかりもない雲の上の人でしたから」
子役時代から長いキャリアを誇る林寛子は、6枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」(75年)が代表作になった。82年には、小泉今日子がカバーしている。
「長男のおしめを替えている時にテレビから流れてきて『えーっ!聞いてないよ』と思いましたけど(笑)、でも、あの歌がまた世の中に蘇ってうれしかったです」
4月27日発売の「週刊アサヒ芸能」5月6・13日合併号では、ほかにもあべ静江、伊藤咲子、早瀬久美などのインタビューとともに、黄金の70年代を振り返っている。