「長嶋茂雄2世」と呼ばれた人物をご存知だろうか。
1965年、東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団、主軸として活躍し、プロ通算2081安打で名球会入りを果たした、山崎裕之氏のことである。埼玉県営大宮球場のセンターバックスクリーンに特大のホームランを放った高校時代の長嶋氏。これを高校1年生の春の大会で実現したことから、付いた異名だ。
その山崎氏、プロ入り間もなく「悪者」扱いされたと明かすのは、YouTubeチャンネル〈日本プロ野球名球会チャンネル〉の、4月29日付け投稿回でのことである。
山崎氏がプロ入りした65年は、ドラフト会議元年。しかしながら山崎氏は、当時主流だった自由競争でシーズン前に入団。契約金は5000万円だったとされる。当時の高卒の初任給が1万4000円程度だった時代である。
この年のドラフトで、巨人から1位指名を受けて入団した堀内恒夫氏の契約金が1000万円に抑えられたことから、「よくねぇ、私が悪者にされて」と、自身の跳ね上がった契約金と比較して、冗談交じりに回顧した山崎氏。
「1年遅くなくてよかったなと思うんですか」と番組MCから金銭面について問われると、
「当時はそんなこと思いませんでしたね。とにかくなんとかこの世界で飯を食っていこうという、その気持ちだけで。もう3、4年は働けなかったですからね」
そんな山崎氏は、3年目の67年には113試合に出場して76安打を放っており、「働ける」の基準が高いことが伺える。「長嶋2世」の異名と契約金が、相当なプレッシャーになっていたことは想像に難くない。それをはねのけての名球会入りは見事だと感心させられた。
(所ひで/ユーチューブライター)