昭和のスターといえども人の子。そんな人間らしさが露わになるのが色恋沙汰である。熱愛、結婚、別離‥‥悲喜こもごもな恋愛模様をプレイバック。
まずは昭和の終わりに彗星のように現れ、今現在もその輝きを失っていない松田聖子(60)。元週刊誌芸能担当記者が話す。
「聖子といえば、数々の男と浮名を流したことで有名ですが、今も語り草になっているのが郷ひろみ(66)との熱愛、そして別れでしょう。特に85年1月に聖子が開いた涙の別離会見での『今度生まれ変わったら、絶対、彼と一緒になります』は名セリフとなって、流行語にもなったほどです」
感動的な会見で世の耳目を集めた聖子だが、実はその裏で、もうひとつの恋愛がスタートしていた。芸能担当記者が続ける。
「記者会見が終わったその足で、映画共演で熱愛関係に陥った神田正輝(71)を追いかけてハワイに向かっている。つまり、会見での号泣はウソ泣きで、心はすでに神田に向かっていた。ある業界の有力者はこんな聖子を見て『(時差をまたぎ)1日で2人の男を愛せるなんて、すごい女だ』と驚嘆していたくらいです」
同年4月、神田が聖子との交際を認め、まさに電光石火のごとく6月に“聖輝の結婚”となった。これが松田聖子伝説の始まりだ。
「その後の色恋沙汰は、アメリカ人のジェフくんやバックダンサーのアラン・リードとの不倫疑惑など、語りだしたらキリがない。特にリードは聖子の住居のすぐそばに住んでいる‥‥という話も流れ、後にリード自身も聖子との関係を認めています。聖子のすごいところは、それらのスキャンダルをダメージにせず、むしろそれを糧にし、芸の肥やしと言わんばかりに乗り越えていくところ。まさに唯一無二、モンスター級のスターと言えるでしょう」(前出・芸能担当記者)
ちなみに、聖子の男遍歴を整理しておくと、神田との間に娘・神田沙也加(享年35)をもうけるも離婚。その後に「ビビビ婚」と呼ばれた歯科医との再婚・離婚を経て、現在の夫である歯科医師と3度目の結婚生活を送っている。
昭和スターの色恋ネタでは、もう一組のビッグカップルを忘れてはいけない。88年9月に電撃入籍した大竹しのぶ(64)と明石家さんま(66)だ。今や日本最高峰の演技派女優と、芸能界を代表するお笑い芸人だが、当時からすでに人気スターであり、世間に与えたインパクトは絶大だった。当時の騒動を芸能ジャーナリストが振り返る。
「ドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)で共演し、熱愛が始まった2人は最終的に結婚まで至った。文字どおり、ドラマの内容が現実になったわけで、ファンは喜び、好意的な目で見ていました。ただ、現場を取材して感じたのは、両者の対応の違い。男女でこうも違うものかと‥‥」
ファンも納得するような結婚なら、当事者も喜ぶべきだろうが、何が違うというのか?
「交際発覚時、明石家さんまの場合は、否定はしないけど、明らかに普段の彼とは違っていた。どこかぎこちないような、少しおどおどしているような‥‥ギャグで返す余裕もあまりなかったね。それに対して大竹しのぶはすごかった。ひと言でいえば泰然自若。何か問題ありますか? と言わんばかりのオーラを漂わせ、さんまとは比較にならないぐらい取材陣を圧倒していた。やはり、彼女クラスの女優になると、腹の据わり方も違う、と思わざるをえなかった」(前出・芸能ジャーナリスト)
89年には娘・いまる(現IMALU・32)が誕生するが、92年9月に離婚。その後は2人がバラエティー番組で共演することもあり、離婚話をネタにする大物らしい余裕をみせているのは周知のとおりだ。
前出・芸能ジャーナリストが色恋沙汰を総括する。
「しのぶ・さんまもそうだけど、潮目が変わったのは聖子からだと思う。スキャンダルの当事者が前面に出て会見を開き、それをむしろキャリアアップへと導く。もっと昔、例えば伊藤咲子(64)と城みちる(64)の交際がそうだったけど、その頃の芸能界は交際自体がタブーだった。近年、伊藤と城があの頃を振り返る番組に出ていたけど、実際のところ、伊藤は謹慎に近い処分を事務所から受けていた。謹慎中は事務所の掃除をしたり、お茶を入れたり。そこまでしても、結果的にはアイドルとしての輝きは取り戻せなかった。それが聖子以前の昭和の芸能界だった」
昭和は遠くなりにけり‥‥されど、昭和を乗り切ったスターたちの輝きは、依然として衰えず、といったところか。