芸能人、特に美貌やかわいさがウリの女性タレントにとって「本物のプライベート」が暴かれることはタブーだった。そんな昭和の芸能人を襲った流出スキャンダル。芸能人生を断ち切るほどの破壊力を持ったスクープの真相に迫る。
1983年6月、写真週刊誌に掲載された一枚の写真が、超ド級の威力を持って人気絶頂の美少女タレントに襲いかかった。ベッドの中で男性とニッコリほほ笑む少女。白いシーツに包まれ、胸の上から顔までしか写っていないが、肌はむき出し状態。そして、指先の間にはタバコが‥‥。
「その写真の主は、お化け番組と呼ばれて高視聴率を誇った『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)に出演していた当時16歳の高部知子(54)。番組内のユニット・わらべの一員としても活躍し、デビュー曲『めだかの兄妹』は大ヒット。しかも、わらべは素朴で清純な雰囲気をウリにしていたので、イメージをブチ壊した反動たるや、すさまじいものがあった」
そう証言するのは、ベテランの芸能ジャーナリストだ。
「彼女の所属する事務所は女性タレントを育成することに定評がある事務所だったが、発覚当初から、社長をはじめ、担当マネージャーは相当汗をかいて火消しに走り回っていた。彼女はわらべ以外でも、社会的反響を呼んだ『積木くずし~親と子の200日戦争~』(TBS系)に主演、その熱演で女優としても将来が嘱望されていた。それだけに、事務所としては、何とか復帰の段取りを整え、1年ちょっとの謹慎期間を経て現場復帰を果たす。ただ、清純派のイメージを裏切った流出写真の存在は大きく、結局、その後はこれといった活躍もできず、結婚を機に22歳で芸能界から去っていくことになった」
99年にはフェティッシュなヌード写真集を発表するなど、世間を驚かせた高部だが、現在は芸能界とは完全に一線を引き、認定心理士の資格を取得。カウンセラーとして依存症などの患者のケアにあたっている。
「彼女の事件は、今ならここまでのダメージを負わなかったと思う。未成年でタバコがNGなのは今も変わらないが、ポーズだけと言い抜ければ何とかなる。ただ、清純派アイドルに男の影はご法度! という当時の芸能界の鉄則は、覆せなかった。また、流出元と言われた元カレが事件の影響で自殺してしまうなど、悲劇的な影響もあった。芸能史上に残る事件であったことは間違いない」(前出・芸能ジャーナリスト)
同じく衝撃の事件として大きな話題を呼んだのは85年、タレント・沢田亜矢子(73)のプライベートヌード流出事件だ。芸能マスコミ関係者が言う。
「前年までワイドショー『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)の人気MCとして、知性と美貌を誇っていただけに、週刊誌に掲載されたヌードのインパクトは絶大だった。高部とは違い、全裸で胸も露出していて、30代半ばの美熟女感あふれる写真は、特に男性ファンの熱い視線を集めました」
ワイドショーの司会を務めていたこともあってか、沢田はあっさりと事実を認め、特にそれに関してコメントを出すこともなかった。しかし、実はこの頃、ヌード流出よりも大きな出来事の渦中にあったのだ。芸能マスコミ関係者が続ける。
「妊娠していたのです。彼女は独身でしたが、出産することを決意し、渡米した。その頃の芸能界では、スキャンダルのほとぼりを冷ますために渡米するのは常套手段。口実は語学留学でも何でもいい。やがて米国での出産を終え、日本に戻った彼女は、芸能界への復帰も果たしました」
要するに、沢田はシングルマザーの道を選んだのだが、マスコミはこぞって子供の“父親探し”に走った。ちなみに沢田は、現在に至るまで父親については明かしていない。前出・芸能ジャーナリストがこう証言する。
「当時、父親として名前が挙がっていたのは某スポーツ選手で既婚者だった。もちろん、沢田が一切口外しない以上、真相は藪の中。ただ、私は以前、沢田と仲がよかった某女優から直接こんなことを聞いた。『子供の写真を見せてもらったら、噂された男性と実によく似ていた』と。とはいえ、今ではその子供も成長し、音楽家として活躍している。これ以上、詮索するのも野暮だろうね」
それにしても、たとえ超ド級のスキャンダルに見舞われても必ず立ち上がってくる昭和芸能人のたくましさ。プライベートが尊重される令和のスターたちは、どう感じるのだろうか。