私は1982年から1987年までの5年間、週刊誌で松田聖子の番記者をしていた。時期的には、彼女が郷ひろみと交際し始めた頃から、神田正輝と結婚して長女・沙也加を出産した少し後まで、ということになる。
郷との結婚が間近と言われていた聖子が緊急記者会見を開く、という一報が飛び込んできたのは、1985年1月23日午前8時のことだ。会見は2時間後の午前10時から。場所は東京・砧の撮影所だという。編集部に連絡するが、カメラマンが捕まらない。現在のように携帯もメールもない時代だ。あいにく一眼レフも故障中。急遽、途中のコンビニで使い捨てカメラを購入し、時間ギリギリに会見場に滑り込んだ。
午前10時ちょうどに、会見はスタート。そして、後に名言となる「もし、今度生まれ変わってきたなら、絶対に一緒になろうって‥‥」という言葉が飛び出すわけだが、大粒の涙でアイラインが崩れ、目の下を真っ黒にしながら話す彼女の真正面に陣取った私は、必死にインスタントカメラのシャッターを切り、ギコギコとフィルムを巻き上げた。あぁ、あの恥ずかしさだけは‥‥今でも忘れることができない。
涙の会見の翌日、映画関係者を訪ねた。すると飛び出したのが、仰天のエピソードだった。
「昨日は我々もみんな、撮影所のモニターで会見の様子を見ていたからね。あの様子じゃ、とても撮影は無理だろうと。ところが現場に入ってきた彼女、『皆さん、お待たせしました! さあ、始めましょう!』って。さっきまで大泣きしていた女性とは思えないくらい元気でね。スタッフ一同、唖然としちゃいましたよ」
これをプロ意識ととるか、したたかさととるかはともあれ、私はこの言葉に、松田聖子という女性の本質を見たような気がした。それゆえ、のちに郷が冗談交じりに「あんなセリフは言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうするんだろう」との談話を聞いた時も、さほど驚きはなかった。
破局会見からわずか1カ月後、彼女が結婚相手として選んだのが、涙の会見を行った最中に東宝が製作していた映画「カリブ・愛のシンフォニー」(85年4月公開)で聖子の恋人役を演じた神田正輝だった。2人は85年6月24日、東京・目黒にあるサレジオ教会で挙式。「聖輝の結婚」と呼ばれ、大々的に報道されたものだ。
挙式直後の会見で、あるレポーターから「聖子さん、生まれ変わったらもちろん、神田さんと一緒になりたいですか」との質問が出た。瞬間、彼女の表情から笑いが消え、少し間があって「はい」と答えた。あの時のなんとも言えない彼女の表情が、今も目に焼き付いている。
山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。