日本のテレビ史に大きな足跡を残した「赤いシリーズ」だが、すべてが順風満帆だったわけではない。その最たる例が「主要キャストの降板」であった。
たとえば「赤い疑惑」(75年)では百恵の母親役である八千草薫が第6話で、「赤い運命」(76年)では名優の志村喬が途中で降板している。
その理由は、あまりにも多忙だった百恵のスケジュールが原因とされている。今となっては信じられないが、たとえばカメラを背にしての対話のシーンでは、背中だけ見せている百恵はほとんど“影武者”であった。宇津井ら語りかける役者たちが影武者を相手に熱演し、後で百恵のアップを撮って帳尻を合わせる。
10代の百恵自身に罪がないとはいえ、八千草も志村も、その手法に我慢がならなかった。
「私たちのスケジュールも百恵ちゃんに合わせて深夜とか早朝のスタートということは多かったわよ。分刻みで動く百恵ちゃんだから、私が話しかけていた場面でも振り返ったらいなくなってたりね」
サバサバとした表情で振り返るのは、シリーズきっての「イビリ役」を演じた原知佐子である。第2作の「赤い疑惑」では友和を溺愛する母親役で百恵を寄せつけず、第4作の「赤い衝撃」(76年)では父親の寵愛を受ける百恵に嫉妬する義理の姉を演じた。
「アイドルをいじめるのは私の必殺技だったわよ。同じ大映ドラマでは堀ちえみの『花嫁衣裳は誰が着る』(86年、フジテレビ)でも、徹底的にイビる伯母を演じていたし」
「赤い疑惑」で共演した旧知の岸恵子には、こうした悪女の役をうらやましがられたという。
「あんたは言いたいことを言って、ストレスのたまらない役だからいいわね。私みたいに全部、いい人で通すのもつらいのよ」
プロレスと同じ論理ではあるが、視聴者に激しく感情移入させるのは、実力のある悪役こそが必要となる。そのため原は、ボブスタイルの髪型で冷徹な印象を与え、赤の衣装を多用することで攻撃性を加味した。「長門裕之さんに『赤い衝撃』の時に語呂合わせでからかわれたの。これはお前の『赤・衣装・劇』だろうって」
控え室で見かける百恵は、いつも多くのマネジャーやレコード会社のスタッフに囲まれていた。とても声などかけられそうもない雰囲気だが、原はシリーズごとに1度は「1人で出ておいで」と耳打ちする。「私たちレギュラーの役者陣が一緒にお昼を食べる小さなお店があって、そこにちゃんと1人で顔を出してくれたわよ」
そんなあたたかさを持つ“悪女”から見て、女優・山口百恵の魅力とは何だったのか──。
「吉永小百合さんと同じで、下半身がしっかりしていたことじゃないかしら。日本人で長く人気を得るのは、ああいう体型の人だったと思う」
神秘性の中に絶妙のバランスで大衆性が入り混じる。それは「赤いシリーズ」の高い視聴率にも表われていた。